デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一

13. 世間に知られざるを憂へず

せけんにしられざるをうれえず

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 既に自ら習ひ修めた道を二三の友人になりとも伝へて共に語つて楽むを得るやうになつた上は、更に此の上之を衆に伝へ、それが天下に行はれるやうになつたならば、一層悦ばしく又愉快であるに相違ないが、さて、之を衆に伝へ天下に行はうとすれば世間が其教を容れて呉れず、人は容易に其道の何たるかを解して呉れぬ。然し、世間が解して呉れず人が知つて呉れぬからとて、苟も君子たるの修行をするものは之に腹を立てゝ怒るやうな事のあるべき筈のものでないといふのが「人知らずして慍らず、亦君子ならずや」の意味である。
 然し、凡人は兎角自分の折角の志が人に知られず世間に行はれぬと腹を立てゝ憤つたり、気を腐らして悲観したりするものである。そんな事をしてはならぬ、といふのが、この「学而」篇の冒頭にある章句の教訓である。私は今日まで及ばぬながらも論語の此の教訓を身に体にして、自分の尽すべき丈けの事を尽しさへすれば、仮令それが人に知られず、世間に容れられようが容れられまいが、それには頓着なく決して慍るとか腹を立てるとか悲観するとか云ふ事は無いやうにして来たつもりである。

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デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)