デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一

7. 論語に九ケ所の「天」

ろんごにきゅうかしょのてん

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 「子罕」篇の外にも、なほ孔夫子の天に就て説かれた所が論語の処々にある。「為政」篇の「五十而知天命」(五十にして天命を知る)。「八佾」篇の「獲罪於天。無所祷也」(罪を天に獲れば祷る所無し)。「公冶長」篇の「夫子之言性与天道。不可得而聞也」(夫子の性と天道とを言ふは得て聞くべからず)。「雍也」篇の「予所否者。天厭之。天厭之」[(]予の否む所の者、天之を厭《す》てん。天之を厭《す》てん)。「述而」篇の「天生徳於予。桓魋其如予何」(天、徳を我に生ず、桓魋――孔子を殺さんとせる人――夫れ我を、如何にせん)。「泰伯」篇の「尭之為君也。巍々乎唯天為大」(尭の君たるや巍々乎たり唯天を大なりとす。)「憲問」篇の「不怨天。不尤人。下学而上達。知我者其天乎」(天を怨みず人を咎めず、下学して上達す、我を知る者は夫れ天か)。「陽貨」篇の「天何言哉。四時行焉。百物生焉。天何言哉」(天何をか言はんや、四時行はれ、百物生ず、天何をか言はんや)など、論語全篇を通じ、天に言及せられたところが九ケ所ばかりある。殊に「八佾」篇にある「罪を天に獲れば祷る処無し」の語に徴して観ると、孔夫子が天を信じ又これが孔夫子の信仰であつた事は明かで、孔子教は方に一の宗教を以て観るべきものだとは井上博士の主張せらるゝ処である。
 之に対し、阪谷博士は、総じて宗教には礼拝祈祷等の形式を具備せねばならぬのを法とするに拘らず、孔子教には此の形式が無い。故に孔子教は目して以て宗教なりと云ひ得られるものだと反駁するのであるが、私は今俄に其の何れが是であるか非であるかを申述べ得ざるにしても、孔子教を以て宗教であるとは思つても居らぬ。実際、世に処するに当つての規矩準縄を説き示されたものとして孔子教を遵奉し、論語によつて之が実践躬行を努めつゝあるのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)