3. 論語を実践躬行す
ろんごをじっせんきゅうこうす
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私は、明治六年に官を罷めて実業に身を委ねる事になつたのであるが、畢竟するに国を強くするには国を富まさねばならぬ、国を富ますには、商工業を隆盛にせねばならぬものと信じたからである。当時はまだ「実業」なる言葉がなく、之を「商工業」と称したものであるが私は商工業を隆盛にするには小資本を合して大資本とする合本組織、即ち会社法に拠らねばならぬものと考へ、この方面に力を注ぐことにしたのである。
さて愈〻会社を経営する事になれば、まづ第一に必要なるものは人である。明治の初年の頃、政府が親しく肝煎をして創始めた会社に為替会社とか、開拓会社とか云ふ如きものもあつたが、それが皆な良好く続かず失敗に終つたのは、当事者に其人を得なかつたからである。会社の当事者に其人を得、事業を失敗させずに成功しようとすれば、其人をして拠らしむるに足る或る規矩準縄が無ければならぬ、又私とても拠るべき規矩準縄が無ければならぬのに気が付いたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)