デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一

9. 其志や察するに余りあり

そのこころざしやさっするにあまりあり

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 大聖人の孔夫子ともあらうものが、五十にして既に天命を知られた後の五十一歳になられてからまで、魯の反臣たる季氏に反いて更に起つた不狃に如何に召されたからとて往かうとされたのは、恰も名分を弁へざるものゝ如くにも思はれ、其処此処と到る処に仕へ廻つた処を見ると、又、焦せられてるやうにも思はれる。当時の周囲を少し注意して見廻しさへすれば、諸公の中にも士大夫のうちにも、かの管仲を用ひて其志を遂げしめた桓公の如き明君が無いくらゐの事は理解りさうな筈だ、これが理解らずに処々に遍歴せられたものとすれば、孔夫子は如何にも眼の見えぬ人であつたかの如くにも思はれる。
 孔夫子は素より之を十分に承知して居られたらうが、斯く志を為すに恋々たる如くあらせられたのは、是れ孔夫子が其志に忠なるの致すところで、何処でも構はぬから我が志によつて、王道の範を布かしめてくれる処がありさへすれば一つ之を行つて見たい、今度こそは我が志を容れて之を遂げしめてくれるだらう、と周の時代を復興して民の鼓腹する状態を実現したいとの勃々たる熱心があつた為めである。孔夫子の情は実に察するに余りある。孔夫子の志は殊に生国の魯をして再び周の盛時に還らしめんとするにあつたので、孟子の伝ふる処によれば、孔夫子の魯を去る時には、志が行はれぬ為に他国を去る時の如く平然たる能はず、怩々として如何にも去り難さうにして去られたものであるとの事である。

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, 察する, 余り
デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)