デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一

11. 円満なる孔夫子

えんまんなるこうふうし

(1)-11

 兎角古来、英雄とか、豪傑とか称せらるゝ人々には、他に抽んでた非凡の長所特色がある代り、又同時に、大きな欠点の見出され得るものである。然るに、孔夫子には是れが非凡の長所であると特に指し得るものゝ無いと同時に、又一つの欠点さへ無いのである。総てが皆な円満に発達し、総てが非凡であると共に総てが平凡である、全く欠点が無いのである、之を称して偉大なる平凡とでも云ふべきものであらうかと思ふ。孔夫子も自ら卑事に通じて居ると申されたほどで、何一つ世の中の事で知らぬといふものは無かつたのである。「史記世家」にもある如く、六芸に通じて、馬を御したり、弓を射る事さへ心得られて、何事も行き亘つて居られた。論語の「郷党」篇にもある如く、孔夫子が大廟に入ゝらる[入らるゝ]や、事毎に問うて教を受け、後に始めて進退せられたものだから、傍にあつた者が若しや大廟の礼を孔夫子が心得て居られぬのかと尋ねて見ると爾うでは無い、斯く事毎に問うて後に進退するのが即ち大廟に於ける礼であると答へられたほどで、礼楽は素より申すまでもなく、後年には「春秋」を著されて歴史に対する造詣も頗る深くあらせられたのを示して居られる。
 要するに孔夫子は欠点なく何事にも精通した頗る円満な人物で、常識の非常に発達せられた方である。依て、私は孔夫子に学んで論語にある教訓を遵奉してさへゆけば、世間に出でゝ非難の無い常識の発達した人物になり得られるものと信ずる。又孔夫子の教訓は大なる常識に外ならぬものであるから、誰でも学んで実践躬行し得られるものである。
 斯の孔夫子の教は孔子より孟子に伝へられ、其後、韓退之なども之を伝へたやうであるが、一時余り世に行はれず、宋の時代になつてから其の復興を見るに及び、朱子の如き学者が現はれて四書の「朱子集註」の如きものを見るに至つたのである。然し、之より先に「古註」といふものもある。日本には、古註本も朱子集註本も共に渡来したが[、]徳川時代には、朱子集註が最も博く行はれたものである。

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円満, 孔子
デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)