デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一

2. 何故論語を選める耶

なにゆえろんごをえらめるか

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 同じく孔子の教を遵奉するにしても、強ひて単り論語に拠る必要は無からう、大学は如何、中庸は如何との念を懐かるゝ方々も無いでなからうが、大学は其冒頭にも、
 古之欲明明徳於天下者。先治其国。(古の明徳を天下に明にせんと欲する者は、先づ其の国を治む)
 とあるほどで、治国平天下の道を説くのを主眼とし、それから逐次斉家修身に及び、何れかと申せば政治向に関する教訓が主である。中庸の説く処には又一段高い立脚地に立つて観察した意見が多く
 致中和、天地位焉。万物育焉。(中和を致せば天地位し万物育す)
とか、
 鳶飛戻天、魚躍于淵(鳶飛んで天に到り、魚淵に躍る)
などの句があるほどで、何れかと申せば哲学的である。修身斉家の道には稍〻遠い恨みがある。
 然し論語となると、悉く是れ日常処世の実際に応用し得る教とでも申すべきもので、朝に之を聞けば夕べに直ぐ実行し得らるゝ道を説いてある。殊に「郷党」篇の如きに於ては、寝るから起るまで飲食の事より衣服の末までも及び、坐作進退、礼儀の小節に亘つて殆ど漏らす処が無いくらゐである。是れ、私が孔夫子の教を遵奉せんとするに当り、大学、中庸に拠らず特に論語を服膺し、之に悖らざらん事を孜々として是れ努むる所以である。私は論語の教訓を守つて暮らしさへすれば、人は能く身を修め家を斉へ、大過無きに庶幾き生涯を送り得られるものと信ずる。

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デジタル版「実験論語処世談」(1) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.638-645
底本の記事タイトル:一八八 竜門雑誌 第三二五号 大正四年六月 : 実験論語処世談(一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第325号(竜門社, 1915.06)*記事タイトル:実験論語処世訓(一)
初出誌:『実業之世界』第12巻第11号(実業之世界社, 1915.06.01)