2. 孟子は極端なる革命論者
もうしはきょくたんなるかくめいろんじゃ
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孟子の意見なぞは、孔夫子に比較すると、更に一層極端に走つた革命的の傾向を帯びたもので、孟子梁恵王章句下の篇にもある如く、斉の宣王が孟子に対ひ「臣弑其君可乎」(臣にして其の君を弑する可ならんか)即ち、周の武王の如く臣子たる身を以てして其君主たる紂王を弑するが如き事をしても苦しからぬものだらうかと問はれると、孟子は之に対し「賊仁者謂之賊。賊義者謂之残。残賊之人謂之一夫。聞誅一夫紂矣。未聞弑君也。」(仁を賊ふ者は之を賊と謂ひ、義を賊ふ者は之を残と謂ふ。残賊の人は之を一夫と謂ふ。一夫の紂を誅するを聞く、未だ君を弑するを聞かざるなり)と答へられたが、其意は、君を弑するのは悪いに違ひないが、仁義を無視し驕暴を敢てする如き者は仮令其人君王の位にあるも、之を目して以て君王なりと致すべきでは無い。残賊を逞うする一匹夫に過ぎぬのだから君王の位にありながら君王たらず、残賊の行為を肆にして人道を無みせる一匹夫に過ぎぬ紂王は、武王が之を伐つたればとて敢て差支なく、決して不道徳では無い、臣子の道に外れたところが無い、といふにある。斯る革命的の思想は支那の国体の上では通る議論かも知れぬが、日本の国体上から謂へば飛んでも無い危険思想である。苟めにも君主たるものを称して残賊なりと云ひ、或は之を匹夫に等しきものなりなどと視るのは、日本の伝習的民族精神に全然違反する事である。是処が私が孔夫子や孟子の教訓と雖も、政治に関するものは我が貴重なる国体に矛盾する処あり、一々実行し得るものと限らぬと申上ぐる所以である。
- デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)