3. 大槻磐渓の意見
おおつきばんけいのいけん
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之を日本の民族気質の上から評すれば、陳文子の行動は徒に自らを潔うせんとするにのみ汲々たる利己的な意気地無しの沙汰で、日本人ならば他邦に移るどころか、弔ひ合戦の旗でも揚げて君主を弑した崔子を伐つべきものだ、陳文子の行為は決して賞めたものでない。然るに孔夫子は、陳文子を以て仁を弁へたる者であるとまでは仰せにならなかつたが、兎に角清い人物であると賞められた。これも、畢竟するに支那の国体及び民族精神が、日本の国体及び民族精神と相違するの致す処である。然し、大槻文彦博士より大槻磐渓翁の意見なりとして曾て承つたところによると、論語公冶長篇にある「弑斉君」の「弑」も、亦孟子梁の恵王章句下にある「弑其君」の「弑」も、共に「弑した」の意味で無くつて、「弑せんとす」の意味であるから、孔孟は、君を弑する事を大逆視せられなかつた、といふわけでも無いとの事であるが、それにしても、孔夫子や孟子は支那の国体及び民族精神の関係より、我が国人の思ふ如くに、君を弑する事を大逆の行為と思つて居られなかつたらしく考へられる。故に、青年子弟諸君にも能く此の辺の消息を心得居られて、仮令、孔夫子が論語に於て説かれてをる事でも、政治上の意見だけは道徳上の教訓より分離して考へてもらはねばならぬのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)