デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一

7. 小学教育に出金す

しょうがくきょういくにしゅっきんす

(13)-7

 郷里の小学教育を完備させることに就ては、ただ口の端ばかりで私が彼是と申したのみでも些か功の無いことと思つたので、私は今日まで数年に亘り既に数千円を出金し、又村の者も出金して、目下では八基村の中央に相当に立派な尋常高等小学校の校舎が建てられて居る。かう申しては自分の自慢話のやうにもなるが、この校舎でも又其器具器械其他の設備でも近辺には余り見当らぬほど、小学校として完備したものだとの噂である。それから校長や教員は十分銓衡して其人を得るに力め、一旦得た人は容易に変へぬやうにするのを村の方針としてあるので、三年前に死去せられた望月久知と申さるる校長の如きは、誠心誠意能く八基村の為に永年御尽し下されたものである。この校長が死なれてから新しい校長を迎へたのであるが、この御仁も実に良校長で、永く村の為に御尽し下される事と思ふ。
 敢て自分の徳や功労を誇るわけでも何でも無いが、私の生家の者も能く私の意を体し、村内の者に率先して純朴の風を守り、小学教育が良く行はれて居るので八基村は仮令完全無欠の理想郷で無いにしても理想郷に近い村で、忠孝利貞の道が廃れず、村内の者は一般に孝悌を重んじ、長幼相済け、漫りに小さな功を争はず、新しい人が起つて、是まで勢力を得て居つた人を倒さうとする如き小ゼリ合ひなどは致さぬやうに相成り、仁厚の美風が漂つて居るかの如くに思はれる。都会に住み郷里を離れて居る者でも、苟も先輩とか長老とか郷党の者より推される身分になつた者は、郷里のことにも多少意を注ぎ、純朴の風を保存させ、孝悌の美風を永く行はしむるやうに之を誘掖し、殊に小学教育を発達さする事に、尽力なさるが宜しからうと私は思ふのである。何と申しても、片田舎で最も大事なものは小学校である。これが総てに於て一村の土台になるのであるから、小学教育は決して忽に致すべきものでは無い。

全文ページで読む

キーワード
小学校, 教育, 出金
デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)