デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一

9. 古俗を保存せよ

こぞくをほぞんせよ

(13)-9

 私は、別に宗教信者と世間から目せられたり、自分も亦斯く信ずるまでに所謂宗教心の篤いものでは無いが、神社を崇敬する観念を持つてる点に於ては決して人後に落ちぬ積である。殊に田舎の村落の如き狭い小さな土地では、鎮守の神社の世話を村中のものが寄つてたかつて為るやうに致せば一致団結の精神を盛んにし、共同心を発達さしてゆけるやうにもなるのみならず、小学教育によつて到底与へることのできぬ或る一種の信念をも村の人々に与へ、道徳上に善良の効果を齎らし得らるるものと思ふのである。その上、私は廿二歳で郷里を脱し江戸に出るやうになるまでは、氏子の総代を勤めて、何んの彼のと、血洗島の鎮守の世話を焼いて居つた関係もある処より、愈〻一人前になつてから其れを引継いだといふわけでも無いが、兎に角血洗島の鎮守のことを、今日でも色々と世話を焼いて遣る事にして居る。
 血洗島の鎮守は、諏訪神社と申すのだが、昔からササラ舞と称して祭礼には獅子舞をする古俗がある。私もまだ若くつて郷里に在つた頃には、矢張村の若い者と一緒になつて此の獅子舞を奉つて廻つたものである。斯る古俗は一見甚だ愚の如くに考へられもするが、一村の純朴なる風俗を維持しようとするには、古俗を保存してゆくやうにするのが必要の事であると思つたので、維新後一時廃れて居つたササラ舞を再興して、再び獅子舞をする事のできるやうに私が世話を焼いてやつたのである。

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キーワード
古俗, 保存
デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)