8. 新知識は科学的知識
しんちしきはかがくてきちしき
(13)-8
如何にも小さな村のことゆゑ、今日までに人材とか人傑とか申すものは、血洗島からも亦、八基村からも出て居らぬ。さう申すと少し嗚呼がましいやうに聞えるかも存ぜぬが、見渡したところ、私だけの者すら此処当分は故郷より出さうにも思はれぬのである。私が故郷から是まで出たうちでは一番大頭であるらしい。然し、私の妹の婿の長男である逓信省技師の渋沢元治は、博士といつても当今となつては掃くほどに多くある時節柄故、日本として敢て外国に誇るに足るほどの学者で無いかも知れぬが、兎に角、工学博士になつて居るので、一小農村に過ぎぬ血洗島としては、多少誇るに足るべき人材であらうかと思はれる。それから、私が少壮の頃に色々と恩義を受けた彼の尾高惇忠の子息の尾高次郎氏も、素より人傑などと申上ぐるほどのものでは無いが、血洗島から出た人としては相当の人物で、現に第一銀行の監査役を勤めて居る。私が郷里の為に尽して居る事は只今までに申上げた小学校の外に猶ほ一つある。
- デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)