デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一

8. 新知識は科学的知識

しんちしきはかがくてきちしき

(13)-8

 日進月歩の新知識を村落に輸入普及する手近な法は、まづ小学校教育を完備するにあるのだが、そればかりでは物足らぬ処がある。今日の新知識は総てみな科学的知識であるから、仮令充分に行届かぬまでも、科学的知識を農業の上などに応用し得るやうな道をも郷里の農業者の為につけてやらねばならぬ事と私は考へたので、生家の者に申つけ率先して科学的知識を応用し、農事の改良を計るやうに致させ、又八基村の一般農事改良の為にも骨折らせることに致して居る。元来、私の生れ故郷は藍の産地で、農家は従来藍を栽培し之を生業と致して参つたのであるが、御承知の通り近年独逸の人工藍が盛んに世界各国に輸出せられて広く行はれ、流石の印度藍すら之に敵し難いほどになつたので、私の故郷の農家も甚だしく其影響を受け、藍の栽培のみを業と致して居つたのでは活計が立たなくなつて参つたに付、藍の栽培を廃めて他の業に転ずるには何を択んだら可いものか、又如何したら宜しからうか、其辺の事に関しても、生家の者共が色々と世話を焼いて村の方々の為に尽力したのである。生家を相続する事になつて居る妹の婿の二男は、工業的の空気をも多少村内に輸入して置く必要があらうといふので、小さいながらも製粉所を村内に設けて機械を運転して居る。
 如何にも小さな村のことゆゑ、今日までに人材とか人傑とか申すものは、血洗島からも亦、八基村からも出て居らぬ。さう申すと少し嗚呼がましいやうに聞えるかも存ぜぬが、見渡したところ、私だけの者すら此処当分は故郷より出さうにも思はれぬのである。私が故郷から是まで出たうちでは一番大頭であるらしい。然し、私の妹の婿の長男である逓信省技師の渋沢元治は、博士といつても当今となつては掃くほどに多くある時節柄故、日本として敢て外国に誇るに足るほどの学者で無いかも知れぬが、兎に角、工学博士になつて居るので、一小農村に過ぎぬ血洗島としては、多少誇るに足るべき人材であらうかと思はれる。それから、私が少壮の頃に色々と恩義を受けた彼の尾高惇忠の子息の尾高次郎氏も、素より人傑などと申上ぐるほどのものでは無いが、血洗島から出た人としては相当の人物で、現に第一銀行の監査役を勤めて居る。私が郷里の為に尽して居る事は只今までに申上げた小学校の外に猶ほ一つある。

全文ページで読む

キーワード
新知識, 知識, 科学
デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)