デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一

6. 故郷血洗島の純朴

こきょうちあらいじまのじゅんぼく

(13)-6

 生れ故郷の血洗島のある八基村に、願くは仁厚の風が行はれて、郷党の者互に相争ひ相陥るるやうな事が無く、相和し相親み相済ふ美風を存させたいものと思ふにつけても、先づ第一に田舎に特有な純朴の風俗を失はせぬやうに致さねば相成らぬ事と私は考へて、今なほ血洗島に於て農を営んで居る生家の者共にも、平素より村内に率先し純朴の風を守るべき旨を申聞かせることにして居る。従来談話致した間にも申上げたことのあるやうに、私の生家は妹に婿を取つて相続して居るのであるが、この人は既う七十歳にも近い老体になつてるので自ら家事に当らず、又、村の世話なども致さず、その長男は是も既に御話致したことのあるやうに、電気技師となり工学博士で逓信省に奉職し居る為め、自然東京の在住となり、為に二男が相続人になつて家事に当り村の世話等も焼いて居るのである。兎に角、小さな村では、生家の一家が大頭株に推し立てられて居るのであるから、率先して純朴の風を守るやうにさへすれば、村内一般も其気を受けて純朴になるだらうと私は思ふので、斯く絶えず戒め置くのである。私の希望やら訓戒やらが、必ずしもその功を奏したといふわけでもあるまいが、幸に私の望む如く八基村には余所の村に往々見るやうな競争とか陥穽とか申す悪風もなく、至極睦み合つて党派争ひなぞもせず、能く純朴の美風が存せられて居るかの如く見受けらるるのは、私も心私かに悦びとするところである。然し如何に小さな村落とは申しながら、健全なる発達を遂げてゆかうとするには、純朴の風を存するといふだけでは駄目である。純朴の風を存すると同時に、又日進月歩の新知識を絶えず輸入し、真正の意味に於ける文明の空気を之に吹き込ませるやうにせねば相成らぬものである。それに就ては小学校の教育に重きを置き、小学教育を充分に完備せるものとし、小学校長及び小学教員に其人を得ねばならぬ事だと私は考へたので、この点に就き私よりも郷里の者に遇ふ毎に能く申し含め、又実際の上より此の点に私が微力を尽すことに致して居る。小学校教育が完全に行はれ、その校長及び教員に人を得さへすれば、純朴の風を存すると同時に、新知識をも吸収して村落は健全なる発達を遂げてゆけるものである。

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キーワード
故郷, 血洗島, 純朴
デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)