デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一

5. 郷里を仁風に化せよ

きょうりをじんふうにかせよ

(13)-5

 私は、これまで談話したうちにも申上げて置いた通り、埼玉県の深谷駅より北一里の片田舎にある血洗島といふ小さな村落に生れたもので、其処が私の故郷になつて居るのであるが、この村落は唯今では近郷八ケ字を合せた合村名の八基村と称せらるる村のうちに含まれて居る。郷里を二十二歳で脱た時には、兎に角幕府を倒して自分等が取つて之に代り、仮令大名になれぬまでも、志を天下に行ひ得る政治家にならうといふ意気込であつたので、素より郷里のことなぞは毫も念頭に置かなかつたのである。然し、東京に住んで一人前に生活せるやうになつてからは、論語に説かれてある孔夫子の教訓を深く玩味するにつけて、郷里のことを他所事の如くにして放つて置くわけに参らず、多少なりとも我が生れ故郷の為に尽してやらうといふ気に相成つたのである。これも「里は仁を美と為す」と教へられた孔夫子の偉大なる御垂訓の一端を実際に行ふ所以であると信ずるからである。
 総じて人は我が身を思へば、直に家を思ひ、家を思へば同時に家のある故郷を思ふに至るもので、之が実に人情の自然である。この故郷を思ひ郷里を思ふの情の軈て発展したものが愛国心となり、更に博く推し拡げられて世界全般の上に及んだものが、人類を思ひ、人類を愛する博愛の精神ともなるのである。されば人は世界人類の為に尽くし国家同胞の為に尽さんとならば、須らく先づ其本より始めて故郷を愛し、各人それぞれ其分に応じて郷里の為に尽くすべきものであらうかと存ずる。私は及ばずながら斯の精神を懐いて私の生れ故郷の八基村の為に尽して居る積である。それに就ては、できる丈け仁厚の風を永く郷里に行はるるやうに致し置きたいものと思つて只管之に心懸けて居る。

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デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)