デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一

11. 拝殿は結婚式場

はいでんはけっこんしきじょう

(13)-11

 血洗島の鎮守諏訪神社の社殿は、斯くの如くにして部落の者と私との共同で兎に角相当立派なものに新築されたのであるが、まだ拝殿の無いのが遺憾だからといふので、血洗島の者が又その増築を思ひ立つたのである。この事に就て私に相談をかけられたので、拝殿だけは費用の全部を私が負担出金して建ててやることにしたのである。既に工事に着手し、目下着々進行中で、来る九月二十七日の祭礼までには竣工して使用し得らるる筈である。然し、今度私が全部の建築費を出金して拝殿を建ててやるに就ては一つの条件をつけたのである。
 近年東京では日比谷の大神宮様であるとか、或は麻布や池の端の出雲大社分祠であるとかで、神前結婚式を挙ぐる事が大層行はれるやうになつて来て居る。私はこれは実に結構な良い風俗で、結婚の神聖を保ち、容易に離縁なぞを致さず、夫婦末永く目出度く暮してゆくやうになる上にも、好影響のあるものだと存ずるので、単に東京のみならず、全国到る処に斯の風が行はるることに致したいと思うて居る。依て血洗島の諏訪神社に此度私が拝殿を建ててやることに致したに就ては、愈よ出来あがつたら、部落の者の結婚式は総て其の拝殿で挙げることにせよと申し聞かせたのである。郷里の者とても素より之に異存のありさうな筈なく、今後は血洗島の結婚式は総て諏訪神社の拝殿で行ふことに決めたのであるが、拝殿と申しても決して大きなものでは無い。然し、血洗島の部落は総戸数が僅に五六十軒位のもの故、結婚式を神社の拝殿で挙げることにしたからとて、集る人は三十人ぐらゐのものだらう。それ丈けの人数が寄るのには今度の拝殿でも狭く無い積である。
 かく、神前結婚式を挙げ得らるる拝殿までが、神社に出来るやうになつたので、血洗島の者は孰れも非常に悦び、「御諏訪様も嘸ぞ御悦びだらう」と謂つてくれるが、之を聞く私も亦、非常に悦ばしいのである。世の中には楽みの種類も色々あるが、衆と共に楽むほどの大なる悦びは他に於て兎ても贏ち得らるるものではない。

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キーワード
拝殿, 結婚式場
デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)