13. 文王の政にも金銭の必要
ぶんおうのまつりごとにもきんせんのひつよう
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然るに此の章句を宋儒の輩が曲解せる如くに、苟も君子たるものは何が何でも、富貴に近づいてはならぬ、一旦、富が手に這入つても、必ず直に之を棄ててしまはねばならぬものだ、といふ意味に解釈すれば、如何に努めても文王の政を布いて博く民に施し能く衆を救ふわけには参りかねる事になる。されば人たるものは富を汚らはしいもの穢いものであると視るやうな事をせず、正しき道によつて之を獲得するやうに心懸くべきものである。富貴を得さへすれば、人は道徳より離れねばならぬものだなぞと考へて、富を蔑視する如きは誠に宜しく無い心懸けである。人は如何に富貴を得ても、その心懸けさへ確であれば、清貧の境涯に於けると等しく、立派に道徳の上に立つて処世の能きるもので[あ]る。又正道によつて獲得した富は容易に其人の手中から逃げて往かず、永く留まつて居るものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)