12. 宋儒の曲解も亦甚し
そうじゅのきょくかいもまたはなはだし
(13)-12
子曰。富与貴。是人之所欲也。不以其道。得之不処也。【里仁第四】
(子曰く、富と貴きとは是れ人の欲する所なれども、其道を以てせざれば、之を得るも居らざるなり。)
茲に掲げた章句は、富貴は万人の欲し求むるところのものであるが然し、君子は決して不正当なる手段によつて富貴を獲得せぬものであると、孔夫子は教へられたのであらうかと存ずるのである。即ち、富貴は決して悪いもので無いが、之を得る手段に就てだけは慎重の上にも慎重の態度に出でねばならぬものだといふのが、此章句に顕れた孔夫子教訓の御趣旨であらうかと想はれるのでる。(子曰く、富と貴きとは是れ人の欲する所なれども、其道を以てせざれば、之を得るも居らざるなり。)
然し、従来の儒者のうちには、此の章句の意味を斯く率直に解釈せずして、「人」を「悪人」の意味に解し、「富貴は悪人の欲し求むるところのもので、之を得るには正道に外れた方法を以てしなければならぬもの故、君子は仮令、富貴が舞ひ込んで来たからとて、直ぐ之を離れて棄ててしまうものである」との趣意に解釈し、富貴を君子の近づくべからざるものであるかの如くに説いた者が少くない。殊に、斯る曲解は宋儒に多かつたやうに思はれるのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(13) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.45-54
底本の記事タイトル:二一〇 竜門雑誌 第三三七号 大正五年六月 : 実験論語処世談(一三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第337号(竜門社, 1916.06)
初出誌:『実業之世界』第13巻第6,8,9号(実業之世界社, 1916.03.15,04.15,05.01)