デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一

3. 倹約は消極的ならざるを要す

けんやくはしょうきょくてきならざるをようす

(62)-3

 只今の加藤総理の御言葉は吾々にとつては実に頂門の一針である。今日御来会の皆様には万々ソンナ方は無からうと信じますが、世間には表に木綿を用ひて倹約を装ひながら、裏には絹を用ひるやうな人が居る。又、一箇の茶器に金を惜しまず数千金を投じて之を購ひ、一幅の掛物に数万金を投じて居室にかけ、悦んでゐる人もある。然も真に之を愛する心からであれば尚ほ恕すべき点もありますが、単に其の価格の高価なるを以て豪奢を誇つて居るやうな人もあるやうである。斯ういふやうな事は大に慎まなければならぬと信ずる。然しながら、更に百尺竿頭一歩を進めて言へば、倹約と言ふ事は啻に物事を節約するといふ消極的のみでは宜しくない。その半面に於ては大に積極的でなければならぬと思ふのである。
 私は曾て古い本で読んだ事があるが、或る非常に倹約主義の大名があつて、諸事万端節約をしなければならぬと始終その事ばかり考へて居つた。その結果、先づ家来を廃し、女中を廃し、愛する犬や猫の飼養もやめ、遂には愛妾をも追ひ出して自分一人となつたが、熟〻考へて見ると、自分自身が生きて居るといふ事も亦無駄な事であるといふ結論に到達したので、たうとう自分も死んで了つたといふ諺が載つて居つた。倹約も結構であるが、倹約主義も此の大名式に万事消極的のみでは遂に手も足も出せない事になる。
 経費を節約することは勿論結構であるが、同時に国家として重要な意義を有する各種事業に対しては、大いに積極的であらねばならぬと思ふ。一例を挙ぐれば、我が国は農業が基であるから、開墾助成とか其他農業の保護発達に関する事に関しては、経費を惜んではならぬ。又工業にしても欧米のそれに比較すれば、進歩の程度が頗る遅れて居る。総てがその模倣であり追随のみであつて、何一つとして彼に優る処がない。其の進歩発達の程度は実に雲泥の差と謂ひたい程である。更に学理的、化学的方面に於ける進歩に於ても我が国は遅れて居り、一つとして独創的にして誇るに足る可きものがない。尤も我が国に於ても理化学研究所の如きものがあるけれども、之れを英米のそれに比すれば、実に九牛の一毛に過ぎない。斯かる状態なるを以て、是等に対して更に節約を加へるに於ては、或は遂に前に述べた倹約な大名の死と同じやうな結果となりはしないか。此の故に私は、倹約であると共に、必要な事には大に積極的でありたいと思ふ。然して之れが真の倹約と称すべきものであると信ずる。
 私は大体右のやうな意味で述べたのであつたが、倹約は結構であるけれども、極端に走つては宜しくない。却て弊害が甚だしくなるものであるから、世人は能く此の点に注意すべきである。

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キーワード
倹約, 消極的, 必要
デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)