デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一

13. 穂積男と各種論語の蒐集

ほづみだんとかくしゅろんごのしゅうしゅう

(62)-13

 之れはホンの一例に過ぎないが、論語の遺訓は其の本元である支那に於ては素よりのこと、直伝された日本に於ては諸君の知らるる如く広く伝へられ、更に欧米に至るまで広汎に行き渡つて居る。
 穂積陳重男は私の為に、古来刊行された各種類の論語を蒐集されて居るが、前にも述べた如く論語の世に公にされたものは頗る多く、支那版、朝鮮版のみにても数百種に上り、日本に於けるもののみでも枚挙に遑ない程である。同じ支那版でも、古論語、斉論語、魯論語の三種類があり、今日行はれて居るのは多く魯論語であるが、時代によつて宋版とか、元版とかいふ風になつて居り、古註とか、集註とか、義説、義証、義註、集解、演義、衍言、衍説、音義、訓釈、啓義、諺解[、]釈義など種類が頗る多い。日本に於ける古本にも、論語解釈とか、論語古義とか論語分類とか、或は論語要義、集成、集説、時習、鈔説、精義、通解など多種類あり、近時一般に行はるるダイヤモンド論語とか、ポケツト論語、ノート論語、或は英漢和対照ポケツト論語、リツトル通俗論語などといふのもある。此の外に世界の各国語に翻訳され基督教信者さへ之れを読んで居る処を見ると、孔子の遺訓が如何に全世界に広く伝はつてゐるか殆んど図り知れない。之れ孔子の教へが尊重すべき価値あるものである事を知るに足る一の証拠である。穂積男の話によると、是等の論語は約一千種も蒐集し得るといふ事であるが全く驚く可き多種類と言はなければならぬ。又孔夫子に対しては、支那の歴代の国君が非常に尊敬を払つて居り、到る処に孔子廟を見ざるなく、確か唐の時代と記憶するが、孔子に「大成至聖文宣王」といふ追称を贈つて之を崇め、一層孔子に対する尊敬の念を高めた国君も居る。かう考へると、孔子の遺徳が如何に世道人心に大なる影響を与へて居るかが分るのである。

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キーワード
穂積陳重, 論語, 蒐集
デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)