14. 孔子の遺訓は偉大なる真理
こうしのいくんはいだいなるしんり
(62)-14
今日の世界の実状は、孔子の説かれたる道徳が大に頽廃した様な時代でありながら、尚ほ論語の書物が前に述べた如く広く世界に伝へられて居るのは、論語の価値を証するに足るものである。然して孔子の異常なる人格、卓越せる才能の之を致したものであるには相違ないが孔子は、どつちかと言へば、凡人の典型であつた。言ひ換へれば「偉大なる平凡」の人とでも言ふべき御方であつた。古来政治権力のあつた人であるとか、他の技術方面に卓越せる知能を有して居つた偉大な人物であつたならば、後来に其の名が遺るであらうが、孔子の如き円満なる凡人の典型にして、其の学説が今日に伝へられ、尊重されて居るのは、其の所説が、偉大なる真理である為である。種々なる宗教から論じても、学理から論じても、究極する所、真理は真理に着くものである。されば論語の今日に至つても尊重されて居るのは、全く真理に適うて居るのが唯一の原因であると信ずる。
かう考へると、私は明治初年以来論語を守り本尊として、其の遺訓を遵奉し、勗めて間違はぬ様に心掛けて今日に至つた訳であるが、研究すれば研究する程、孔子の偉大なる人格才能、論語の真理の正しく逞ましいものであつた事が感ぜられ、今日に至つて、私が孔子の教訓を選んだ事の誤りでなかつた事を喜ぶものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)