デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一

1. 政事は民を本とせよ

せいじはたみをもととせよ

(63)-1

哀公問於有若曰。年饑。用不足。如之何。有若対曰。盍徹乎。曰。二。吾猶不足。如之何其徹也。対曰。百姓足。君孰与不足。百姓不足。君孰与足。【顔淵第十二】
(哀公有若に問うて曰く。年饑ゑて用足らず。之を如何せん。有若対へて曰く、盍ぞ徹せざる。曰く。二、吾れ猶ほ足らず、之を如何ぞ其れ徹せん。対へて曰く。百姓足らば、君孰れと与にか足らざらん、百姓足らずんば、君孰れと与にか足らん。)
 哀公は魯の諸侯であつた。有若は孔子の門弟であつて、孔門の十哲ではないけれども、一説には曾子と共に論語を編纂したと伝へられ、之れが為めに論語にも、特に曾子と有子とに子といふ敬称を用ひてあるのだとの説がある程で、兎に角有若は孔子の高弟であつた事だけは確かである。且つ有若の容貌は夫子に酷似して居つたので、孔夫子が亡くなられてから有子を以て孔子の代りにしようかといふ議が、一部の門弟間に唱へられてあつたといふ事が、論語の序の中に記されてあつたやうに記憶する。此の事は他に反対もあつたので其のまま立消えになつたやうであるが、同門中にも相当の声望があつた人物である事は疑ふ余地がない。有子は後に魯の哀公に仕官して重用されたが、此の章句は即ち哀公と有子との問答であつて、簡単に言ふと有子が哀公の質問に答へて、「民は国の本であるから、君王たるものは民を愛さなければならぬ」といふ事を説かれたものであつて、孔子の教訓を述べたものである。

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デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)