デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一

13. 自ら正しきを行へ

みずからただしきをおこなえ

(63)-13

季康子問政於孔子。孔子対曰。政者正也。子帥以正。孰敢不正。【顔淵第十二】
(季康子政を孔子に問ふ。孔子対へて曰く。政は正なり。子帥るに正を以てせば、孰れか敢て正ならざん。)
 本章は身を以て帥ることを教へたもので、所謂正義人道を行へば、人も亦倣ふと云ふのである。季康子は魯の大夫で三家の一人である。(三家とは季康子、叔孫、孟孫のことで、魯の国政上に大いに権勢を揮うたものである。)季康子も可なり我儘なことも多かつたが、幾分政治の事に意を注がうとする志があつたと見え、孔子に政治のことを問うたのである。然るに孔子はこれまで季康子の遣り方も知つて居られたので、政は正しきことである。国中の民が正しきことを行つて、曲つた行ひのないやうにすることである。而して之れを正しくするにはどうするかと云ふに、先づ上位にある者から、身を以て率ゐると云ふことにしなければならぬ。自己が正しきことを行へば下は之れに倣ふものである。例へば私が正しきことを行へば私の家も正しくなる。又政府にしても政党にしてもさうである。自己が勝手気儘なことをして居ながら、他に善事を行へと云つてもそれは出来るものでない。先方の悪いことを責めて、善事を求めるのは小人のやることである。これ等は前の章句と同じ意味のものであると云ふことが出来る。
 季康子は政治に就いて問ふ丈けのことは出来たけれども、政治を行ふことでは完全ではなかつた。そこで孔子は季康子に対つて、人民を正しきに向はしめようとすれば、先づ自己を正しくせよと言はれ、人を余り苛責しないで、静かに説いて戒しめられたのである。併し孔子は何時も穏かにとは極つては居ない。次の章句の如きは可なり手厳しく言つて居る。

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デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)