デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一

2. 有子増税に反対す

ゆうしぞうぜいにはんたいす

(63)-2

 哀公は一日、孔子の門弟である処の有若に向つて「近年国内に饑饉が打ち続いて、収入も思ふやうに無い為めに国用が不足を告げて困つて居るが、どうしたら宜しからう」と相談された。蓋し哀公の意は財政が苦しいから増税しようといふ謎である。処が有若は人民を救ふ費用が足らぬ事と心得て、答へて言ふには「君には昔の徹法によつて十分の一の租税を取らるる事に為し給ふたら宜しいでせう」と申し上げた。此の徹法といふのは昔の税法であつて、君王は田畑の収穫の中の十分の九を人民に与へ、十分の一を租税として納めしめたのである。魯の宣公の時より之を改めて増税し、哀公の時代には十分の二を徴収して居つた。依つて有若の意見は租税を軽減して人民の負担を軽くするやうにしたら宜しからうといふのである。
 哀公は案に相違し、「今日は昔と違つて種々支出も多い為め十分の二の租税を徴収しても猶ほ足らぬのに、どうして昔の徹法の如く、十分の一に止むる事が出来よう」と重ねて増税の意を仄めかした。有若始めて哀公の真意を悟り、「君と民とは一体のものである。人民が衣食足りて富裕になれば、之れ即ち君の富めると同様である。どうして独り君王のみが窮乏すべき筈がない。之れに反して人民が悉く貧乏とすれば之れ即ち君の乏しいのである。民が困窮して君王のみ富裕なるべき道理がない。されば国民が不作に苦んで居る今日の場合に税を厚くなすべきでない。税を軽くして民を富ますこそ今日の急務である」と理路整然として憚る処なく其の意見を述べたのである。之れ誠に尤も至極と申すべきである。猶ほ章句の中に百姓といつて居るが、之れは所謂農民の事を言うたのではなく、天下の民は皆民族姓がある故、沢山の民を指して百姓と云つたのであつて、即ち百姓とは諸々の民といふ事なのである。

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キーワード
有子, 増税, 反対
デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)