デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一

11. 長所を進め短所を正す

ちょうしょをすすめたんしょをただす

(63)-11

子張問政。子曰。居之無倦。行之以忠。【顔淵第十二】
(子張政を問ふ。子曰く。之れに居つて倦むなく。之れを行ふに忠を以てす。)
 子張は十哲の中にはないが、孔子の三千人の中六芸(書、射、礼、楽、算、御)に通ずるもの七十人の中の一人である。議論の多い人で論語の中にも特に子張篇が這入つて居る位の人である。十哲の中にも篇をなして居るものは至つて少いのに、子張の特に這入つて居るのは余程優れて居る処があつたに相違ない。
 子張が政を孔子に問うたのに答へて、平居無事の日に於ても政事を心掛けて倦むことのないのは勤と云ふものである。併しこの政を行ふには、衷心から民を愛し、民の為めに謀つて少しも私心があつてはならぬ。この民を愛し民の為めに謀ることは誠と云ふものである。故に政治を行ふには忠と誠でなければならん。然るに子張は智能は優れて居つたが為め、自ら高くして淳朴忠実の風が欠けて居つた。故に誠心を以て民を愛しなければ必ず倦んで忠を尽さぬであらうと思ひ、特に之れを告げて戒めたのである。
 孔子は常に引込思案のものに対しては、之れに勇気をつけることを奨めて居る。又勇気のあるものに対しては之れを抑へるやうにして居る。子路の勇を抑へたのはその例である。所謂長所のある者はその長所をとり、短所のあるものはその短所を矯正させる方法をとつたのである。孔子の包容力の大なる所以は之れを以て知ることが出来る。
子曰。博学於文。約之以礼。亦可以弗畔矣夫。【顔淵第十二】
(子曰く。博く文を学び、之れを約するに礼を以てす。亦以て畔《そむ》かざるべきか。)
 この章は既に雍也篇に出て居る。唯前者の君子の二字が違つて居るのみの異である。之れを読んで見ても、如何に孔子はおとなしい人であるかを察することが出来る。孟子などは中々過激なことを言つて、何でもかうであると云ふ風に断定をして居る。けれども孔子は「亦以て畔かざるべきか」と云つて断定をしないと云ふことは、如何に孔子の性格の温厚篤実なるかを窺ふことが出来る。
 然るに多く今日の演説なり講演なりを聞いて見るに、余り確固たる信念を有つて居らぬのに、かうであると云ふ風に断定を下して居るのが多い。今日流行のマルクスとかデモクラシーなどもそれである。余り能くも知らんのに大いに知つた風をして論じて居るものも多いやうであるが、これなどは宜しく孔子のこの語を聞いて、自ら省みる処があつて然るべきである。

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デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)