7. 論語の他の経書と異る所以
ろんごのほかのけいしょとことなるゆえん
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この九経には系統的に規則立てて論じたものもあり、歴史的に事実を叙述したものもある。規則立ててある事柄を論じたものとしては礼記などがあり、歴史的に事実を叙述して、その間に褒貶黜陟を試みたものとしては春秋がある。大学などは、終始一貫した一篇の文章で、孔子の言つたことを文章にしたもので、之れが孔子の遺書と称される所以である。中庸は子思の哲学的心事を以て仁義徳行を色々な場合から観察した意見を羅列したものであり、孟子は一つの議論文である。
然るに論語は是等のものと異り、規則立ててある事を論じたものでもなく、又哲学的に意見を立てたものでもない。唯行住坐臥、所謂日常生活の出来事に関して弟子とその事を論じ合うたことなのである。ある時には魯の大夫との問答があつたり、その君との問答があつたり又弟子との問答があつて、その論じた事柄たるや千差万別である。故に論語は四書の中ではあるけれども、大学、中庸、孟子などとは全然その趣きを異にして居り、又其の他の五経などとも非常に異つて居る処である。されば論語は孔子の日常の言行録とも云ふべきものであると見るのが適当かと思ふ。
殊に論語の異る処は、ある所に於てある人を非常に賞めて居るかと思ふと、ある所になると之れと反対に貶して居ると云ふやうなのが珍らしくないことである。例へば憲問篇に「子曰。桓公九合諸侯不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁」とあるが如く、管仲の仁者なることを称揚して居るかと思ふと、八佾篇には「子曰。管仲之器小哉」と貶したるのみならず、「管氏而知礼、孰不知礼」と云つて居る場合もある。故に孔子はその人を評するにも決して一定して居る訳でない。ある場合にはその点を摑まへて此処はエライと称めて居るが、他の場合には彼処はいけないと云つて非難して居ることが多い。
- デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)