デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一

12. 平重盛父清盛を諫止す

たいらのしげもりちちきよもりをかんしす

(63)-12

君子成人之美。不成人之悪。小人反是。【顔淵第十二】
(君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是れに反す。)
 本章はその当時の事実を捕へ、之れを概括的に述べたもので、君子は善をなし、小人は善をなすことを好まぬと言はれたのである。君子は私なく善事をなすことを好むので、人の善事でも自らなせしものの如く喜ぶ。又人に善事を勧めたり成就せしむるやうに誘導もする。然るに小人はそれに反して人に悪事があつても、それを諫止したり阻抑したりすることがない。寧ろ人の悪事をなすことを忌んで、大悪をなさしめることもある。
 人には親疎の別がある。即ち親しい者としては親があり、兄弟がある。又それ程親しくない者もあるから、人には色々の種類があつて、一様でないと言ふことが出来る。故に、善を勧めたり、悪を諫めたりするにも親しい者から始める。若し自分の親しい者で悪に陥らうとする場合にはそれを諫止して善に移らしめなければならぬ。昔時平清盛が権勢を得て、人をも人と思はぬと云ふ我儘の振舞が多かつた。為めに之れに対する反感も亦少くなかつた。殊に後白河法皇の如き、その横暴を憎んで之れが権勢を殺がんことを謀つたことは決して一再ではない。ある時法皇の策洩れて清盛の知る処となるや、清盛大いに怒り自ら進んで法皇に迫らうとしたことがあつた。重盛之れを聞くや直ちにその邸に走り、清盛を諫め平氏の今日あるを得たのは君恩に由るのである、然るにその君恩のあるを忘れて君を討たんとするのは不忠の大なるものである。若し何処までも君を討たんとするならば、先づこの重盛の首を刎ねよと云つた。更に弟宗盛に向つて、常に父の側にありながらその悪をなすを何故諫めなかつたと叱つた。重盛の如きは確かに父清盛を諫止して悪をなさしめなかつたものと云ふべきである。
 君子と小人との別は善を好み、悪を阻抑すると云ふことに由つても分るが、小人は人を誹り、即ち誹謗する。誰、彼はかうであると悪し様に言つてその人の徳を損することをする。之れは小人の常であつて君子の敢てなす所のものではない。勿論君子と小人との区別は之れのみによつて知るべきではないが、孔子は君子は美をなすことを好み、小人は之れに反すると云ふ短い言葉によつて区別し、之れを戒めたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)