3. 仁徳天皇の御仁政
にんとくてんのうのごじんせい
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周公と比較するのは甚だ当を得ない次第であるが、周公が国費多端の為め増税の意があつたのに反し、仁徳天皇は有子の説く如く民の富を以て御自分の富であるとなし、凶年相次で民の困つて居るのを察知せられて数年間課税を免ぜられ、之が為め皇居の破損も修理あらせられず、民と辛苦を倶にせらるるの大御心より不自由を忍ばせられて非常に質素に渡らせられた。また河を穿ち、地を掘り、堤を築き、道を開きなどして民の為めに計り給うたので、産業大に興り民富み栄ゆるに至つた。仁徳天皇の如きは、有子の所謂「百姓足らば君孰れと与にか足らざらん、百姓足らずんば君孰れと与にか足らん」といふのを実地の上に行はれたのであつて、其の仁政が今日に至るも称へられ居るのは宜なるかなである。
- デジタル版「実験論語処世談」(63) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.520-531
底本の記事タイトル:三五〇 竜門雑誌 第四二〇号 大正一二年五月 : 実験論語処世談(第六十一《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第420号(竜門社, 1923.05)
初出誌:『実業之世界』第19巻第10-12号,第20巻第1号(実業之世界社, 1922.10.11.12,1923.01)