デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一

4. 唐沢斗岳氏の孔子政治家論

からさわとがくしのこうしせいじかろん

(62)-4

 孔子の事について、始終色々の論説がありますが、此の間、福井毎日新聞の唐沢斗岳と言ふ人が、『孔子政治家論』と言ふ書物を著はして、手紙を添へて寄贈された。是れに関して些か所見を述べて見たいと思ふ。
 従来孔子を論ずる人々の説は、押なべて孔子を道学先生として一種の宗教的観念を持つが如き、或は一種の哲学的道理を論ずる所の学説をなす人と見て居るけれども、自分の見る所は全く是れと違ふのである。唐沢斗岳氏の添書に依れば、孔子を単なる学者と見ず、純然たる政治家と見て居る。其の著書『孔子政治家論』は未だ良く読んで居らぬけれども、其の内容の大体は、孔子は元来政治家であつたが、不幸にして世に容れられず、実際政治家としては失敗の人であるが、失敗が失敗に終らず、後年になつては実際政治を断念して、社会教化と言ふ方面から世を済はんとして、専ら政治教育に力を尽すに至つた。而して孔子の思想は是れに依りて二千数百年後の今日儼然として伝へられて居るが、事実に於て実際政治家としての手腕を充分発揮し得なかつた為、此の方面に力を注ぐに至つたので、本来の目的は専念政治にあつた事は、論語や大学に依て見ても明かである。現に論語や大学には斯く斯くの説があると言ふ意味のもので、手紙には渋沢は是れを何う見るかと言ふ事が書いてあつた。

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キーワード
唐沢斗岳, 孔子, 政治家,
デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)