デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一

6. 井上哲次郎博士の孔子観

いのうえてつじろうはかせのこうしかん

(62)-6

 時日は確かに記憶して居らぬけれども、最初の孔子祭典会が湯島の孔子聖堂で催された際だつたと思ふ。井上哲次郎博士が、孔子に就て一場の講演を試みた事がある。博士の孔子論は些か世人と趣きを異にし、孔子は非凡な人ではない、平凡な人であつた。平凡を短く言へばヘボになるが、孔子は所謂ヘボではなく、偉大なる平凡の人とでも言ふべき人格者であつた。英雄とか豪傑とか世間に持て囃さるる人は、確に尋常人に傑出した点があつたに相違ないが、或る一面に非常に長所があつても、他の半面には大なる欠点を有して居るのが常である。例へば非常に決断力があつて兵を動かすに疾風迅雷的で、軍神と云はるる様な人でも、人間としての半面を見る時は或は温情に欠けて居るとか、惨酷な行為を平気でするとか、或は感情に強く激し易いとか言ふ欠点を持つて居る。ナポレオンにしても、豊臣秀吉にしても、英雄であつたには相違ないが、人間としては大なる欠点の有つた事は否まれぬ事実である。
 是れに反して孔子は、殊更に何々が勝れて居たと思ふ点はないが、仁義を弁へ、礼義を知り、健康を保持し、其他人間としての備ふ可き総ての条件を悉く具備して居り、従つて其の言語行動が人としての最高点に達して居つた。且つ六芸に通じ、行くとして可ならざるはなく一言一行、悉く後世の人の以て模範とすべきものであつた。是れを以て孔子を偉大なる平凡人と称すると言ふ意味の講演であつた。之れは頗る変つた孔子の観察法であつて、余程面白い見方であると思ふ。

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井上哲次郎, 孔子,
デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)