7. 孔子の理想は人類の幸福増進である
こうしのりそうはじんるいのこうふくぞうしんである
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要するに孔子の理想とする処は、政治を理想的に発展せしめて、四百余州を統治する事が真の目的で有つたのではなくて、人の人たる道を教へ、民の幸福を増進し、今の言葉で言へば社会の秩序を保ち、人類の幸福を増進して、理想的社会を実現せんとするのが其の真の目的であつたのである。其の政治に干与せるは、其の理想を実現せんがための一つの手段に過ぎなかつたのである。而して時の君主が孔子を利用する為には辞を厚うして聘したけれども、根本の精神が違つて居るから、利用する事が出来なくなつてしまふと弊履の如く孔子を顧みない。それで志を述べる事は出来ないから、六十八歳にして直接政治に干与する念を断ち、専心教化の事業に従はれたのであるが、直接或る権力に就く許りが必ずしも政治の要諦ではない、人民の幸福を増進し各々其の堵に安んぜしめる様にするのが真の政治の根本であつて、是は必ずしも為政者としての立場につかなくとも為し得る事柄である。孔子が直接政治家としての念を断つてからは、此の意味に於て自分の意志を世間に広めんとしたので有つて、此の趣意は論語の全巻を通じて窺ひ得るのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)