デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一

10. 山鹿素行の論語観

やまがそこうのろんごかん

(62)-10

 論語の学者は、大体古学、朱子学、折衷学の三派に分れて居るが、朱子学者は余り此の点を尊重せぬけれども、折衷派は頗る是れを尊重して居つた。山鹿素行は元来が兵学者であるけれども又折衷派の錚々たる者であつた。当時幕府は政策上から朱子学を奨励し、林家が大学頭として文教の司の地位にあつたのであるが、山鹿素行は幕府の儒者林家に反対して政教要録を著し、孔子の教は道学者の説くが如き死学ではなく活学問である。今日の如く文字上の形式だけを尊重して孔子の真の精神を見ぬのは大に間違つて居ると非難した。是れが幕府の忌諱に触れて、赤穂義士の義挙で有名な浅野長矩の父、浅野長広の下に多年(九年許り)幽閉されて居たが、その当時大石良雄を薫陶したのが彼の義挙に少なからず影響が有ると言はれて居る。其の真偽はよく判らぬが、兎に角山鹿素行は単なる兵学者ではなく、折衷派の学者としても確に一見識を備へた偉い人で有つたと思はれる。素行の説くが如く、孔子の孔子たる所以は、其の説く処死学でなく悉く活学問であつて、何時の時代に於ても人間として是れを学ぶ可き価値の存する所にあると思ふ。孔子の偉い処は実に人類の幸福増進、社会の向上発展を理想とした点であつて、人間として必ず守る可き道を判り易く平易に説いた処に真の価値を認める。是れ孔子の孔子たる所以で有つて私も素行の説には頗る賛成である。若し福地桜痴や唐沢斗岳の如く、単に孔子を政治家として立たんとするものと見るならば、一を知りて二を知らざるものと言ひ度い。蓋し孔子の直接政治に携はらんとしたのは、道を行はんとする手段で有つて、其真の本領は全く人類の幸福増進に有つた事は、論語乃至大学の章句に就て見れば良く了解さるるであらう。

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山鹿素行, 論語,
デジタル版「実験論語処世談」(62) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.507-515
底本の記事タイトル:三四六 竜門雑誌 第四一七号 大正一二年二月 : 実験論語処世談(第六十《(六十二)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第417号(竜門社, 1923.02)
初出誌:『実業之世界』第19巻第7-9号(実業之世界社, 1922.07,08,09)