デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
2節 米国加州日本移民排斥問題
○第二節ハ「米国加州日本移民排斥問題」トシテ同問題ヲ主軸トシタル資料ヲ収録セルガ、アメリカニ関係アル諸団体ヲモ含メテ編成セリ。又、第三節「国際団体及ビ親善事業」ニ収録シタル団体中ニモ、一部移民問題ニ関係ノ存スルモノアリ(「太平洋問題協議会」「太平洋問題調査会」等)、コレラハ移民問題トシテ参照ヲ要スルモノナリ。
○尚渋沢子爵家ニ所蔵サレタル資料ニハ、大正十二年ノ関東大震災ニ際シ焼失セルモノ多ク、為メニ本資料編纂ニ当リ、外国人関係ノ往復書翰ヲ新タニ蒐集収録セリ。所蔵者ガ外国人ニシテ(COPY)トアルハソレヲ示ス。
3款 日米関係委員会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正12年1月8日
(1923年)
第34巻 p.5-6(DK340001k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国駐箚特命全権大使埴原正直並ニ外務次官田中都吉新任祝賀午餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ祝辞及ビ希望ヲ述ブ。
大正12年2月10日
(1923年)
第34巻 p.6-11(DK340002k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事兼アメリカ基督教会聯合会代表シドニー・エル・ギューリック博士招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。次イデ二十四日、日本工業倶楽部ハ当日ノ会員定例午餐会ニ同博士ヲ招請シテ講演ヲ聞ク。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正12年3月6日
(1923年)
第34巻 p.11-12(DK340003k)
是日、当委員会主催汎太平洋会議出席者経済学博士服部文四郎招待晩餐会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正12年3月16日
(1923年)
第34巻 p.12-13(DK340004k)
是日、当委員会主催常務委員藤山雷太渡欧送別晩餐会、日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。
大正12年4月10日
(1923年)
第34巻 p.13(DK340005k)
是日栄一、東京銀行倶楽部ニ催サレタル当委員会協議会ニ出席シ、当委員会トシテ意見書公表ノ議ヲ決ス。後アメリカ合衆国ハワイ在留毛利伊賀帰朝歓迎晩餐会開カレ、栄一出席ス。
大正12年4月27日
(1923年)
第34巻 p.13-14(DK340006k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国人ダーウィン・ピー・キングズリー夫妻招待晩餐会、丸ノ内東京会館ニ開カレシガ、栄一欠席ス。
大正12年5月21日
(1923年)
第34巻 p.14-15(DK340007k)
是日栄一、当委員会会員阪谷芳郎・法学博士添田寿一・法学博士山田三良・内田嘉吉・頭本元貞等―、兜町渋沢事務所ニ会シ、日米問題ニ対スル陳述書其他ニ就イテ協議ス。翌二十二日及ビ二十四日、シドニー・エル・ギューリック博士ト同所ニ会シテ引続キ協議ス。次イデ二十八日、本問題ニ関シ委員会開カル。
大正12年6月5日
(1923年)
第34巻 p.15-33(DK340008k)
是日、当委員会、日米問題解決ニ資スルタメ、両国聯合高等委員設置ニ関スル陳述書発表ヲ決議シ、同夜アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事シドニー・エル・ギューリック博士送別晩餐会ヲ兼ネテ同書発表会ヲ東京銀行倶楽部ニ開キ、栄一出席シテ演説ス。
尚発表ト同時ニ、其旨サン・フランシコ及ビニュー・ヨークノ米日関係委員会等ニ打電サレ、次イデ七日、栄一当委員会ヲ代表シテ、ニュー・ヨーク米日関係委員会会長ジョージ・ダブリュー・ウィカシャムニ本問題ニ関シ書通ス。
大正12年6月8日
(1923年)
第34巻 p.33-88(DK340009k)
是日、当委員会、日米問題解決ニ資スル為メ、両国ノ輿論ヲ喚起スル目的ヲ以テ、六月五日発表セル陳述書ヲ、各方面ニ発送ス。
尚栄一、陳述書発表以来連日、個人ノ資格ニ於テ、アメリカ合衆国朝野ノ名士ニ意見書ヲ送ル。
大正12年6月21日
(1923年)
第34巻 p.88-91(DK340010k)
是日栄一、当委員会常務委員トシテ、会員法学博士山田三良及ビ会員頭本元貞ヲ伴ヒ、芝公園内政友会本部ニ赴キ、同会所属在京衆議院議員ニ対シ、日米三都ニ設置サレアル日米関係委員会ノ由来及ビ今回ノ陳述書ニツイテ説明シ、二重国籍問題・外国人土地所有権問題ノ解決ノ必要ヲ力説ス。次イデ二十三日、芝区新桜田町憲政会本部ニ赴キ、同会所属衆議院議員ニ対シ、同ジク説明ヲナス。更ニ七月五日、貴族院ノ研究会会員ニ対シ東京倶楽部ニ於イテ、日米問題ニ関スル講演ヲナス。
大正12年7月7日
(1923年)
第34巻 p.91-92(DK340011k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席ス。会員金子堅太郎ハ、過般発表セル日米両国聯合高等委員設置案陳述書ニ対スル、アメリカ合衆国内ノ反響ニ就イテ報告スル所アリ、終テ会員堀越喜重郎帰朝歓迎晩餐会ニ移ル。
大正12年9月24日
(1923年)
第34巻 p.92-99(DK340012k)
是日栄一、日米問題従来ノ懸案ニ付栄一並ニ当委員会ト親シク協議セシメンガタメ、アメリカ合衆国サン・フランシスコ米日関係委員会ヨリ特派セラレタルチェスター・エッチ・ローエル及ビチャールズ・エス・コックスヲ、東京銀行倶楽部ニ請ジテ午餐会ヲ催シ、席上挨拶ヲ述ブ。
大正12年10月29日
(1923年)
第34巻 p.100-105(DK340013k)
是ヨリ先二十六日、栄一、帝国ホテル内アメリカ大使館ニサイラス・イー・ウッズ大使ヲ訪ヒ、是日当委員会主催ニテ同氏送別会、東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。
大正12年11月9日
(1923年)
第34巻 p.105-107(DK340014k)
是日、当委員会主催常務委員藤山雷太帰朝歓迎午餐会、東京銀行倶楽部ニ催サレ、栄一出席ス。
大正12年11月22日
(1923年)
第34巻 p.107-109(DK340015k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、外務大臣男爵伊集院彦吉等ヲ招ズ。栄一出席シテ当委員会ノ性質・目的及ビ方針ヲ説ク。後アメリカ合衆国排日問題ニ関シテ協議ス。
大正12年12月28日
(1923年)
第34巻 p.109-129(DK340016k)
是ヨリ先十二月五日、アメリカ合衆国議会下院ニ、帰化不能外国人入国禁止条項ヲ含ム移民法案提出セラレ、同時ニ上・下両院ニ、帰化不能外国人ノ子ノ国籍ニ関スル憲法改正共同決議案提出セラル。栄一乃チ当委員会ヲ代表シテ、是日同国ノ知人ニ向ツテ電報ヲ発シ、其通過阻止ニ尽力センコトヲ懇請ス。
大正12年12月29日
(1923年)
第34巻 p.129-132(DK340017k)
是日、当委員会、東京銀行倶楽部ニ開カレ、栄一出席シ、外務当局者ヲ招待シテアメリカ合衆国議会上院ニ提出セラレタル、合衆国出生外国人児童ノ帰化権制限ニ関スル憲法改正共同決議案ニ対スル善後策ニ就イテ協議ス。
大正13年1月30日
(1924年)
第34巻 p.132-135(DK340018k)
是日、当委員会小委員会、麹町区八重洲町渋沢事務所ニ開カル。栄一出席シテアメリカ合衆国排日問題ニ関シテ協議ス。
大正13年1月31日
(1924年)
第34巻 p.135-139(DK340019k)
是日、当委員会、近ク欧米旅行ノ途ニ上ル会員井上準之助ニ、最近ノ日米問題ニ関スル覚書ヲ交付ス。
大正13年2月7日
(1924年)
第34巻 p.139-140(DK340020k)
是日栄一、アメリカ合衆国マサチューセッツ州スプリングフィールドニ於テ催サルル、メソヂスト監督教会大会ニ出席ノタメ、近ク渡米セントスル牧師石坂亀治ヲ飛鳥山邸ニ引見シテ、合衆国在留同胞ノ状態及ビ排日問題ニ関スル調査ヲ委嘱ス。
大正13年2月13日
(1924年)
第34巻 p.140-146(DK340021k)
是日栄一、子爵金子堅太郎ト共ニ、外務大臣男爵松井慶四郎ヲ外務省ニ訪ヒ、アメリカ合衆国排日緩和策トシテ使節派遣ノコトヲ談ズ。二月二十日当委員会帝国ホテルニ開カレ、栄一出席ス。美以教会監督アメリカ合衆国人ハーバート・ウエルチ来賓トシテ臨席ス。栄一、ウエルチトカリフォルニア州日本人問題ヲ談ズ。
大正13年3月3日
(1924年)
第34巻 p.146-169(DK340022k)
是ヨリ先一日、当委員会小委員会開カレ、栄一出席ス。引続キ是日、小委員会麹町区八重洲町渋沢事務所ニ開カレ、栄一出席シテアメリカ合衆国ヘ使節派遣ノ件ニツキ協議ス。尚栄一、コノ件ニツキ是日午後及ビ翌四日、内閣総理大臣清浦奎吾ヲ其官邸ニ訪フ。十七日、外務省ニ外務大臣松井慶四郎ヲ訪問シ、其意見ニヨリ使節派遣ノコトヲ止ム。
大正13年3月13日
(1924年)
第34巻 p.169-171(DK340023k)
是日、アメリカ合衆国サン・フランシスコ在米日本人会会長牛島謹爾電報ヲ寄セ、アメリカ合衆国新移民法ガ来ル七月一日ヨリ実施ノ上ハ、在米日本人青年ノ結婚ヲ困難ナラシムルニヨリ、右青年等ニ対シ、至急帰国ノ上妻帯同伴帰米センコトヲ勧誘シツヽアルヲ以テ、日本陸軍省ガ、来ル四月十六日ヨリ六月三十日ニ至ル期間内ノ帰国青年ニ対シテ、特ニ六十日間ノ滞在ヲ許可スルヨウ、栄一ノ尽力ヲ乞フ。栄一、増田明六ヲシテ外務当局ニ交渉セシム。四月二日右改正ニ関スル陸軍省令公布セラル。
大正13年4月4日
(1924年)
第34巻 p.171-183(DK340024k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国北部バプテスト教会総会会長コーウィン・エス・シャンク博士ハ、同国四千万ノ基督教徒ヲ代表シテ、排日問題ニ対スル同教徒ノ態度ヲ我国民ニ宣明シ、且ツ大正十二年関東大震災ニ対スル同情ヲ伝達センガタメ渡来ス。是日当委員会主催同博士歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ主人側ヲ代表シ歓迎ノ辞ヲ述ブ。二十五日、同博士及ビ同国宗教家ジェームズ・エッチ・フランクリン、ウィリアム・アクスリング及ビテニーノ留別晩餐会ヲ帝国ホテルニ開ク。栄一出席シテアメリカ合衆国ノ排日問題ニ就テ懇談ス。
大正13年4月21日
(1924年)
第34巻 p.183-231(DK340025k)
曩ニアメリカ合衆国下院ヲ通過シタル一九二四年移民法ハ、四月十五日又上院ヲ通過ス。栄一其前後ニ亘り焦心奔走シ、特ニニュー・ヨーク及ビサン・フランシスコノ米日関係委員会ト呼応シテ、其成法阻止ニ力ム。十九日栄一、外務大臣男爵松井慶四郎、合衆国特命全権大使サイラス・イー・ウッズト会見シ、後チ東京銀行倶楽部ニ於ケル当委員会ニ臨ミテ協議シ、是日、合衆国ノ知人ニ対シ其尽力ヲ電請ス。
大正13年5月1日
(1924年)
第34巻 p.231-235(DK340026k)
是日、内閣総理大臣清浦奎吾、日米問題ニ造詣アル有力者ヲ首相官邸ニ招致シ、アメリカ合衆国移民法問題ニ関スル意見ヲ徴ス。栄一出席シテ自説ヲ述ブ。
大正13年5月2日
(1924年)
第34巻 p.235-244(DK340027k)
是日栄一、外務省ニ外務大臣松井慶四郎ヲ訪レ、日米高等委員会設置案ニツキ再考ヲ促ス。
大正13年5月11日
(1924年)
第34巻 p.245-247(DK340028k)
是日、アメリカ合衆国ニ於ケル貿易商滝藤治三郎飛鳥山邸ニ来訪シ、同国ノ近状並ニ同国シカゴ市日本人基督教青年会ノ事業ニ就イテ栄一ニ報告ス。
大正13年5月12日
(1924年)
第34巻 p.247-250(DK340029k)
是日栄一、アメリカ合衆国シカゴ・ミルウォーキー・エンド・セントポール鉄道会社社長ハリ・イー・バイラムヲ飛鳥山邸ニ招キテ午餐会ヲ開キ、排日問題ニ付懇談ス。
大正13年5月14日
(1924年)
第34巻 p.250-251(DK340030k)
是日栄一、近ク渡米ノ途ニ上ル宮岡恒次郎及ビ早稲田大学教授塩沢昌貞ヲ、兜町渋沢事務所ニ招待シテ、日米問題ニ関スル従来ノ経過ヲ説明ス。
大正13年5月21日
(1924年)
第34巻 p.251-255(DK340031k)
是日栄一、アメリカ合衆国特命全権大使サイラス・イー・ウッズヲ帝国ホテル内同国大使館ニ訪問ス。夜当委員会小委員会、東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテアメリカ合衆国移民法ニ関シ、ジャッジ・ゲーリー、ヘンリー・タフト、ラモント等ニソノ立法阻止ノ運動ヲ依頼スルコト及ビ我政府ニ建議スルコトヲ決議ス。仍ツテ二十二日、栄一、内閣総理大臣子爵清浦奎吾ヲ訪問シテ之ヲ通ジ、翌二十三日決議書ヲ送附ス。
大正13年5月22日
(1924年)
第34巻 p.255-316(DK340032k)
是日栄一、アメリカ合衆国ノ主ナル友人ニ電報ヲ発シ、移民法立法ノ阻止ニ最後ノ努力ヲ懇願ス。二十六日、大統領カルヴィン・クーリッジ同法ヲ裁可シ、七月一日ヨリ実施セラル。
大正13年5月28日
(1924年)
第34巻 p.316-334(DK340033k)
是日、当委員会主催外務省参事官佐分利貞男招待会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法通過ノ結果、窮迫ニ陥レル在留日本人農業者救済法ニ就イテ協議ス。
尚、是日引続キ同所ニ於イテハワイ大学教授ケー・シー・リーブリック博士歓迎午餐会ヲ催ス。
大正13年6月2日
(1924年)
第34巻 p.334-352(DK340034k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国特命全権大使サイラス・イー・ウッズ送別晩餐会帝国ホテルニ開カル。栄一出席シテ送別ノ辞ヲ述ブ。ウッズ帰国ノ後、各所ニ排日法ノ不可ナル所以ヲ演説ス。
大正13年6月18日
(1924年)
第34巻 p.352-371(DK340035k)
是日、当委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法ノ成立ヲ見タルニヨリ、今後当委員会ノ執ルベキ態度ニ就テ討議ス。栄一、軽挙ノ不可ナルヲ説キ、両国親善ノタメニ努力センコトヲ述ブ。
大正13年7月4日
(1924年)
第34巻 p.371-375(DK340036k)
是日、当委員会、丸ノ内日本倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法通過ニヨリ、当委員会ノ存続如何ニツキ討議ヲナス。又外務大臣幣原喜重郎等ヲ招致シ、右ニ関スル政府当局ノ見解ヲ聴取ス。
大正13年7月10日
(1924年)
第34巻 p.375-377(DK340037k)
是日、当委員会主催都下新聞記者代表者招待午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国排日問題ノ事情並ニ従来当委員会ノ執リ来リシ行動ニ就イテ談話ス。
大正13年8月6日
(1924年)
第34巻 p.377-378(DK340038k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国ロス・アンジェルス商業会議所代表者シー・エム・ゴルドン歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年9月11日
(1924年)
第34巻 p.378-382(DK340039k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国駐剳特命全権大使埴原正直並ニ会員井上準之助帰朝歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、今後ニ於ケル当委員会ノ方針ヲ定ムルタメ、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法通過ノ事情ヲ聴取ス。
大正13年9月30日
(1924年)
第34巻 p.382-390(DK340040k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国ハワイ米日関係委員会会員アルバート・ダブリュー・パーマー歓迎晩餐会、上野精養軒ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正13年10月18日
(1924年)
第34巻 p.390-394(DK340041k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ギルバート・ボールズ博士歓迎晩餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。次イデ合衆国千九百二十四年移民法改正促進ノタメ我国ヨリ使者派遣ノ可否ヲ論ズ。
大正13年10月21日
(1924年)
第34巻 p.395-397(DK340042k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国エール大学教授アーレン・ジョンソン博士招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正13年10月29日
(1924年)
第34巻 p.397(DK340043k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国サン・フランシスコ在米日本人会書記長滝本為三、合衆国千九百二十四年移民法成立ノタメ、カリフォルニア州在任邦人農業者ノ被レル困厄ヲ救済スル使命ヲ帯ビテ帰朝ス。是日、当委員会ハ同人ヲ招待シテ右ノ状況ヲ聴取セントセシガ、同人ノ急病ニヨリテ止ム。
大正13年10月30日
(1924年)
第34巻 p.397-398(DK340044k)
是日栄一、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレタル当委員会主催都下新聞記者招待会ニ臨ミ、アメリカ合衆国排日問題ニ関スル意見ヲ述ブ。
大正13年11月20日
(1924年)
第34巻 p.398-399(DK340045k)
是日、当委員会主催鈴木文治帰朝招待会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一ハ病気ノタメ出席セズ。
大正13年12月11日
(1924年)
第34巻 p.399-417(DK340046k)
是日、当委員会小委員会、飛鳥山邸ノ栄一ノ病室ニ開カレ、アメリカ合衆国排日移民法対策ヲ議ス。
十四日、再ビ同所ニ小委員会ヲ開キ、合衆国ノ知友ニ書ヲ送リ、同国人側ヨリ排日法ノ改正ニ着手セシメンコトヲ協議ス。
大正13年12月25日
(1924年)
第34巻 p.418-454(DK340047k)
是日栄一、去ル十四日ニ於ケル当委員会小委員会ノ協議ニ基ヅキ、アメリカ合衆国内ノ知友七十余名ニ対シテ書ヲ送リ、合衆国千九百二十四年移民法通過前後ニ於テ試ミタル努力ニ対シテ謝意ヲ表シ、尚此問題ハ、是ニテ解決セラレタルモノニアラズ、正シキ解決ヲ見ザル間ハ真ニ解決セラルルコトナキモノナル所以ヲ説明ス。
大正14年1月1日
(1925年)
第34巻 p.454-457(DK340048k)
是日シドニー・エル・ギューリック、栄一ニ書ヲ寄セ、去ル十二月三日ヨリ九日マデアメリカ合衆国ジョージア州アトランタニ開カレタル米国基督教聯合会ニ於ケル国際問題ニ関スル宣言(一九二五年度プログラム)ヲ示ス。宣言中「正当ナル日米関係ノ再興」ナル一項アリ。
大正14年2月2日
(1925年)
第34巻 p.457-464(DK340049k)
是日、当委員会及ビ京浜実業家有志主催アメリカ合衆国特命全権大使エドガー・エー・バンクロフト及ビアメリカ合衆国駐箚特命全権大使松平恒雄送迎午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正14年2月7日
(1925年)
第34巻 p.464-471(DK340050k)
是日、当委員会懇談会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一病ヲ押シテ出席シ、アメリカ合衆国排日法施行後ノ近況ニ関シテ懇談シ、又当委員会将来ノ方針ニ就イテ意見ヲ交換ス。
大正14年2月10日
(1925年)
第34巻 p.471-475(DK340051k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人ジェローム・ディー・グリーン招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一、病気ノタメ出席スルヲ得ズ。
大正14年2月24日
(1925年)
第34巻 p.475-477(DK340052k)
是日栄一、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カレタル当委員会小委員会ニ出席シ、来ル五月会員姉崎正治ノアメリカ合衆国ニ渡航スルニ託シテ、先キニ栄一ノ発信セル主ナル人々ニ面会シ、同国千九百二十四年移民法ニ対スル意見ヲ徴シ、且ツ当方ノ真相ヲ伝ヘシメンコトヲ決議ス。
大正14年3月9日
(1925年)
第34巻 p.477-479(DK340053k)
是日、当委員会主催サン・フランシスコ総領事大山卯次郎並ニハワイ総領事山崎馨一歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一、病気ニヨリ出席セズ。
大正14年4月11日
(1925年)
第34巻 p.479-483(DK340054k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会幹事シドニー・エル・ギューリック、書ヲ栄一ニ寄セテ、同国移民法改正ノ事容易ナラザルニヨリ、之ヲ中止スベキヤ否ヤヲ問フ。是日栄一、之ヲ当委員会会員数名ニ謀ル。
大正14年4月13日
(1925年)
第34巻 p.483-490(DK340055k)
是日栄一、当委員会常務委員トシテ、佐分利外務省通商局長ヨリ、アメリカ合衆国ロス・アンジェルスニ日米関係委員会設立セラレタル旨ノ通知ニ接ス。
大正14年4月23日
(1925年)
第34巻 p.490-503(DK340056k)
是日栄一、アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会ガ、同国千九百二十四年移民法改正ノ運動ヲ起サントスルノ報ヲ得、電報ヲ発シテ之ヲ激励ス。但シ風聞ニ過ギズ。
大正14年4月24日
(1925年)
第34巻 p.503-507(DK340057k)
是日当委員会主催アメリカ合衆国人サミュエル・マザー招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一ハ病気ニヨリ出席セズ。
大正14年5月12日
(1925年)
第34巻 p.507-551(DK340058k)
是日栄一、当委員会会員頭本元貞ヲ招致シ、同人ガアメリカ合衆国ハワイニ開カルル太平洋問題協議会ニ出席シ、次イデ合衆国本土ニ渡航シテ同国千九百二十四年移民法改正ノ機運ヲ促サンコトヲ勧ム。十六日頭本之ヲ承諾ス。六月六日当委員会主催同人送別午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一ハ病気ニヨリ出席セズ。頭本帰朝ノ後九月二十一日、当委員会主催同人歓迎及ビ報告聴取会同所ニ開カレ、栄一出席ス。
大正14年5月14日
(1925年)
第34巻 p.551-555(DK340059k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国人アルフレッド・シー・エルキントン及ビハーバード・ウエルチ歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一ハ病気ニヨリ出席スルヲ得ズ。
大正14年5月18日
(1925年)
第34巻 p.555(DK340060k)
是日栄一、ジョージ・ダブリュー・ウィカシャム及ビシドニー・エル・ギューリックヨリ連名ヲ以テ、世界親善デーニ際シテ米国基督教会聯盟評議員ヲ代表シ日米親善助長ヲ声明セル電報ヲ受理ス。栄一、右ヲ新聞ニ掲載方依頼ス。
大正14年6月13日
(1925年)
第34巻 p.556-558(DK340061k)
是日、当委員会主催太平洋問題協議会参列代員送別午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ。
大正14年7月1日
(1925年)
第34巻 p.558-563(DK340062k)
是日、アメリカ合衆国千九百二十四年移民法施行一周年ニ当ルニヨリ、東京ニ於テ「国辱デー」開カレントス。栄一ソノ慰撫ニ努ム。
大正14年7月9日
(1925年)
第34巻 p.563-571(DK340063k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国リヴァーサイドノ親日家フランク・エー・ミラー歓迎午餐会丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ歓迎ノ詞ヲ述ブ。
大正14年7月31日
(1925年)
第34巻 p.571-573(DK340064k)
是日、当委員会主催太平洋問題協議会参列代員帰朝歓迎会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席セズ。
大正14年9月15日
(1925年)
第34巻 p.573-589(DK340065k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国ハワイニ在リテ、在留邦人ノ米国同化運動ニ従事セル牧師奥村多喜衛帰朝ス。是日栄一、奥村ヲ飛鳥山邸ニ引見ス。二十一日当委員会ノ会合ニ招待シテ其説ヲ聴ク。是ヨリ後、継続シテ奥村ノ運動ヲ援助ス。
大正14年9月26日
(1925年)
第34巻 p.589-593(DK340066k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国人ウィリアム・アクスリング博士招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正14年12月8日
(1925年)
第34巻 p.593-594(DK340067k)
是日当委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。
栄一出席シテ太平洋問題調査会組織ニ関スル件ヲ協議ス。
大正14年12月20日
(1925年)
第34巻 p.594-602(DK340068k)
是日、アメリカ合衆国人ジョン・アール・モット博士、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ対談ス。次イデ二十四日当委員会主催同博士歓迎会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ催サル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正15年3月9日
(1926年)
第34巻 p.602-609(DK340069k)
是日、アメリカ合衆国人ウィリアム・アクスリング博士、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、同国千九百二十四年移民法ニ関スル談話ヲナス。四月八日右ニ関シ当委員会小委員会ヲ、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開キテ協議ス。
大正15年4月3日
(1926年)
第34巻 p.609-619(DK340070k)
是ヨリ先栄一、堀内謙介ノアメリカ合衆国ヲ通過スルニ託シテ、同国ノ知人ニ面接シ、同国千九百二十四年移民法ノ改正ニ関シテ懇談セシメントス。是日、堀内其復命書第一信ヲ送ル。
大正15年5月9日
(1926年)
第34巻 p.619-631(DK340071k)
是日、当委員会主催、アメリカ合衆国ロス・アンジェルス商業会議所商業視察団一行歓迎午餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正15年5月26日
(1926年)
第34巻 p.631-639(DK340072k)
是ヨリ先二十二日、栄一、アメリカ合衆国在住田島準一郎ヲ飛鳥山邸ニ引見ス。是日、当委員会小委員会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カレ、栄一出席シテ、同人提案ノ日系米国市民ノ日本精神作興運動後援ノ可否ヲ議ス。
大正15年6月23日
(1926年)
第34巻 p.639-643(DK340073k)
是日、当委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ、アメリカ合衆国ロス・アンジェルスニ設ケラレタル、外国関係研究会其他ノ件ヲ協議ス。
大正15年7月14日
(1926年)
第34巻 p.643-647(DK340074k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国哲学者ルーファス・エム・ジョーンズ博士歓迎午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正15年7月27日
(1926年)
第34巻 p.647(DK340075k)
是日栄一、アメリカ合衆国人スターリン・ジョイナーヲ丸ノ内東京銀行倶楽部ニ招キ午餐会ヲ開ク。
大正15年9月28日
(1926年)
第34巻 p.647-651(DK340076k)
是ヨリ先、アメリカ合衆国フロリダ州ニ颶風アリ、災害甚シ。是日栄一、松平駐米大使ヲ通ジテ、当委員会ヲ代表シテ、同国大統領カルヴィン・クーリッジ並ニ同州知事ジョン・マーティンニ対シテ見舞ノ辞ヲ伝達ス。
大正15年10月12日
(1926年)
第34巻 p.651-652(DK340077k)
是日、当委員会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。
栄一出席シテアメリカ合衆国サン・フランシスコ日本人基督教青年会会館建設補助ノ件及ビジャッジ・トマス・バーク銅像建設寄附金ノ件ヲ議ス。
大正15年11月3日
(1926年)
第34巻 p.652-658(DK340078k)
是日、当委員会主催第三回太平洋学術会議アメリカ合衆国代表並ニ婦人歓迎晩餐会、丸ノ内日本工業倶楽部ニ開カル。栄一出席シテ歓迎ノ辞ヲ述ブ。
大正15年11月26日
(1926年)
第34巻 p.658-663(DK340079k)
是日、当委員会ハアメリカ合衆国赤十字社社長ジョン・ビー・ペーン招待午餐会ヲ、神田一ツ橋如水会館ニ催シ、大正十二年ノ関東大震災ニ際シテ寄セラレタル合衆国国民ノ同情ニ対シテ、感謝ノ意ヲ表ス。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正15年12月20日
(1926年)
第34巻 p.663-686(DK340080k)
是日、当委員会主催アメリカ合衆国ニュー・ヨーク米日関係委員会会員ジェームズ・エッチ・フランクリン博士招待午餐会、丸ノ内東京銀行倶楽部ニ開カル。栄一病気ニヨリ出席スルヲ得ズ。同博士ハ合衆国千九百二十四年移民法改正ノ要ヲ述ブ。
昭和元年12月28日
(1926年)
第34巻 p.686(DK340081k)
アメリカ合衆国シアトルノジャッジ・トマス・バーク、平和主義者トシテ名アリ、大正十四年十二月四日ニュー・ヨークニ於テ演説中死去ス。シアトルノ人ジェームズ・ディー・ローマン、栄一ニ書ヲ寄セテ、バーク銅像建設資金寄付ノコトヲ勧誘ス。栄一乃チ当委員会ノ手ニヨリテ、寄付金九千七百余円ヲ得、是日之ヲ外務省ニ交付シ、シアトルヘ転送ノコトヲ依頼ス。