デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.17

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 株式会社第一銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月14日
(1909年)
第50巻 p.5-17(DK500001k)
是ヨリ先、韓国統監伊藤博文、新ニ韓国中央銀行ヲ設立シテ、同国ニ於ケル当行ノ業務ヲ継承セシメントシ、四十年八月以来栄一ト折衝ス。是日栄一、第一銀行ヲ代表シテ韓国度支部次官荒井賢太郎ト其権利義務承継ニ関スル覚書ヲ交換シ、次イデ二十五日其細目ノ協定ヲ遂グ。
明治42年8月3日
(1909年)
第50巻 p.17-20(DK500002k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第二十六期定時株主総会及ビ臨時株主総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、同期営業概況ヲ報告シ、更ニ韓国支店業務ノ韓国銀行引継ニ関スル経緯ヲ説明シ、是ニ伴フ定款附則追補ヲ提案、可決セラル。
明治42年11月20日
(1909年)
第50巻 p.20-21(DK500003k)
是ヨリ先、明治三十八年公布ノ勅令第七十三号廃セラル。是日第一銀行、韓国ニ於ケル業務ヲ韓国銀行ニ引継グ契約ヲ締結ス。
明治43年1月21日
(1910年)
第50巻 p.21-23(DK500004k)
是日栄一、当行頭取トシテ日韓ノ金融ニ尽力セル功労及ビ韓国銀行設立ノ際ニ於ケル当行ノ処置ニ就キ、賞勲局ヨリ金盃ヲ贈ラレ、更ニ大蔵大臣桂太郎・統監曾禰荒助ヨリ感状ヲ贈ラル。次イデ二十六日、韓国内閣総理大臣李完用ヨリ感謝状ヲ贈ラル。
明治43年2月1日
(1910年)
第50巻 p.23-27(DK500005k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第二十七期定時株主総会及ビ臨時株主総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、同期業務報告ノ外、韓国ニ於ケル当行業務引継ノ経過ヲ報告シ、更ニ昨秋渡米実業団長トシテ渡米セル経緯ヲ報告ス。
明治43年2月5日
(1910年)
第50巻 p.27-52(DK500006k)
是ヨリ先、大蔵大臣桂太郎五分利公債ヲ四分利以下ノ低利公債ニ借換ヘント欲シ、当行頭取栄一等ニソノ斡旋ヲ依頼ス。栄一、横浜正金銀行頭取高橋是清ト謀リ、是日各銀行ノ間ニ公債下請組合ヲ組織ス。コレニヨリ是年二月・四月ニ於ケル両度ノ四分利内国債募集ノ成功ヲ見ル。
明治43年6月17日
(1910年)
第50巻 p.52-58(DK500007k)
是日当行、桂首相外三十名ヲ帝国ホテルニ招待シ、韓国支店譲渡記念ノ晩餐会ヲ開ク。栄一出席シテ、韓国支店ノ沿革及ビ譲渡ノ経緯ヲ演説ス。
明治43年7月26日
(1910年)
第50巻 p.58-60(DK500008k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第二十八期定時株主総会及ビ臨時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
明治44年1月24日
(1911年)
第50巻 p.60-62(DK500009k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第二十九期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
明治44年7月25日
(1911年)
第50巻 p.62-64(DK500010k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十期定時株主総会及ビ臨時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
明治45年1月25日
(1912年)
第50巻 p.64-67(DK500011k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十一期定時株主総会及ビ臨時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
明治45年6月20日
(1912年)
第50巻 p.67-68(DK500012k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行臨時株主総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、当行ト株式会社二十銀行トノ合併ヲ議決ス。
明治45年7月25日
(1912年)
第50巻 p.69-76(DK500013k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十二期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。次イデ九月十九日、同所ニ於テ臨時株主総会開カレ、栄一、株式会社二十銀行ノ合併手続ノ完了セルコトヲ報告ス。
大正2年1月28日
(1913年)
第50巻 p.76-79(DK500014k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十三期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
大正2年7月24日
(1913年)
第50巻 p.79-83(DK500015k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十四期定時株主総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、資本金一千七十五万円ヲ二千百五十万円ニ増資ノ件ヲ議決ス。次イデ十月二十一日、同所ニ於テ臨時株主総会開カレ、栄一、新株募集ノ経過ニツキ報告ス。
大正3年1月27日
(1914年)
第50巻 p.83-85(DK500016k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十五期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
大正3年7月23日
(1914年)
第50巻 p.85-87(DK500017k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十六期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
大正4年1月26日
(1915年)
第50巻 p.87-93(DK500018k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十七期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。尚、四月上旬関西地方ニ旅行シ、京都・大阪・神戸・名古屋ノ各支店ヲ訪フ。
大正4年7月24日
(1915年)
第50巻 p.93-99(DK500019k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十八期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
大正4年10月2日
(1915年)
第50巻 p.99-106(DK500020k)
是日栄一、広島市公会堂ニ於テ開催ノ当行広島支店開設披露宴ニ出席シ、開店ノ挨拶ヲ述ベ、次イデ四日、熊本市偕行社ニ於テ開催ノ熊本支店開設披露宴ニ出席シ、同ジク挨拶ヲ述ブ。
大正4年10月17日
(1915年)
第50巻 p.106-108(DK500021k)
是日栄一、朝鮮総督ヨリ朝鮮ノ金融其他経済ノ発達ニ尽力シタル功労ニヨリ表彰セラル。尚、是月二十三日、栄一、渡米ス。
大正5年1月25日
(1916年)
第50巻 p.108-110(DK500022k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第三十九期定時株主総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
大正5年7月25日
(1916年)
第50巻 p.111-127(DK500023k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行第四十期定時株主総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、議事終了後、取締役頭取辞任ノ意ヲ表明シ、告別演説ヲナス。大倉喜八郎株主ヲ代表シテ謝辞ヲ述ブ。同日取締役会ニ於テ佐々木勇之助ヲ後任頭取ニ選挙シ、且ツ栄一ヲ相談役ニ推ス。栄一之ヲ承諾シ、在任歿年ニ及ブ。
大正5年8月26日
(1916年)
第50巻 p.127-137(DK500024k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当行臨時株主総会ニ出席ス。頭取佐々木勇之助議長トナリ、栄一辞任ニ伴フ取締役補欠選挙ノ件、功労金贈与ノ件、並ニ当行ト株式会社京都商工銀行合併ノ件ヲ議決ス。栄一、同行合併ニツキ意見ヲ述ブ。後、佐々木勇之助株主ヲ代表シテ、飛鳥山邸ニ栄一ヲ訪ヒ、功労金ヲ贈リ、終身年金贈呈ノ旨ヲ伝フ。栄一ソノ中ヨリ金十万円ヲ当行行員育英資金トシテ寄付ス。
大正5年10月6日
(1916年)
第50巻 p.137-156(DK500025k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ当行頭取辞任披露会ヲ開キ、引退ノ挨拶ヲ述ブ。次イデ十月八日神戸ニ於テ同披露会ヲ開キ、更ニ翌大正六年三月、大阪・京都・名古屋ニ於テ同様披露会ヲ開キ、等シク挨拶ヲ述ブ。
大正5年11月12日
(1916年)
第50巻 p.156-168(DK500026k)
是ヨリ先、栄一ノ喜寿記念トシテ当行ハ玉川清和園内ニ記念館誠之堂ヲ建設ス。是日、帝国ホテルニ於テ、ソノ開館式ヲ兼ネテ、栄一ノ喜寿祝賀会ヲ開ク。栄一出席シテ謝辞ヲ述ベ、次イデ清和園ニ赴キ記念植樹ヲナス。
大正6年――昭和6年
(1917-1931年)
第50巻 p.168(DK500027k)
栄一、当行頭取辞任以後、歿年ニ至ルマデ、相談役トシテ、努メテ当行ノ年賀式及ビ株主総会等ニ出席シテ、演説ヲナス。
第50巻 p.169(DK500028k)
○大正六年
第50巻 p.169-173(DK500029k)
○大正七年
第50巻 p.173-174(DK500030k)
○大正八年
第50巻 p.174-188(DK500031k)
○大正九年
第50巻 p.188-189(DK500032k)
○大正一〇年
第50巻 p.189-190(DK500033k)
○大正一一年
第50巻 p.190-197(DK500034k)
○大正一二年
第50巻 p.197-214(DK500035k)
○大正一三年
第50巻 p.214-218(DK500036k)
○大正一四年
第50巻 p.218-228(DK500037k)
○大正一五年
第50巻 p.229-233(DK500038k)
○昭和二年
第50巻 p.233-240(DK500039k)
○昭和三年
第50巻 p.240-246(DK500040k)
○昭和四年
第50巻 p.247-253(DK500041k)
○昭和五年
第50巻 p.253-258(DK500042k)
○昭和六年
昭和4年6月22日
(1929年)
第50巻 p.258-259(DK500043k)
是日栄一、丸ノ内一丁目当行本店新築工事場ニ於ケル定礎式ニ臨ム。
昭和5年11月19日
(1930年)
第50巻 p.259-260(DK500044k)
是日栄一、丸ノ内一丁目ニ建築ノ当行本店新築落成ニ就キ巡覧ス。
昭和6年11月17日
(1931年)
第50巻 p.260-263(DK500045k)
是月十一日栄一歿ス。是日、当行重役会ニ於テ、栄一相談役就任以来ノ功労ニ対シ、金五万円ヲ贈呈スルコトヲ決ス。
尚、服喪中トシテ翌七年ノ当行年賀式ヲ廃ス。
2款 株式会社東京貯蓄銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年7月22日
(1909年)
第50巻 p.264-265(DK500046k)
栄一、是日及ビ同四十三年一月二十六日開カレタル、当行株主総会ニ出席ス。
明治44年7月20日
(1911年)
第50巻 p.265-270(DK500047k)
是日栄一、当行株主総会ニ出席ス。十二月日下義雄、当行常務取締役ニ就任ス。栄一之ニ与ル。
明治45年2月1日
(1912年)
第50巻 p.270-272(DK500048k)
是日、当行白山支店新設ノ件認可セラレ、同月十五日営業ヲ開始ス。栄一之ニ与ル。
大正元年9月28日
(1912年)
第50巻 p.272-274(DK500049k)
是日山口荘吉、当行常務取締役ニ就任ス。栄一之ニ与ル。
大正元年9月30日
(1912年)
第50巻 p.274-276(DK500050k)
是日栄一、当行所有有価証券ノ名義人トナル。
大正2年5月1日
(1913年)
第50巻 p.276-279(DK500051k)
是日当行、当行両国支店・白山支店移転ニ伴フ定款変更ノ件ヲ大蔵大臣高橋是清ニ申請シ、五月十日認可サル。栄一之ニ与ル。
大正3年2月26日
(1914年)
第50巻 p.279-283(DK500052k)
是日当行、当行神田支店移転ニ伴フ定款変更ノ件ヲ大蔵大臣高橋是清ニ申請シ、次イデ十一月十一日、再ビ同支店移転ニ伴フ件ヲ大蔵大臣若槻礼次郎ニ申請、共ニ認可ヲ受ク。栄一之ニ与ル。
大正5年3月1日
(1916年)
第50巻 p.283-286(DK500053k)
是日当行、当行新宿支店新設並ニ営業課目増設ニ伴フ定款変更ノ件ヲ、大蔵大臣武富時敏ニ申請シ、三月十六日認可サル。栄一之ニ与ル。
大正5年7月26日
(1917年)
第50巻 p.286-288(DK500054k)
是日栄一、当行取締役会長ヲ辞任ス。八月十日、当行臨時株主総会ニ於テ慰労金トシテ金一万円ヲ贈ルコトヲ決議ス。
3款 特殊銀行 1. 株式会社日本銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正2年2月24日
(1913年)
第50巻 p.289-290(DK500055k)
是日、大蔵大臣高橋是清、栄一ニ日本銀行総裁タランコトヲ勧ム。翌二十五日栄一之ヲ辞ス。
大正8年7月3日
(1919年)
第50巻 p.290-291(DK500056k)
是日、栄一及ビ団琢磨・和田豊治・末延道成・須田利信発起人トナリ、当行総裁井上準之助・副総裁木村清四郎・横浜正金銀行頭取梶原仲治・副頭取鈴木島吉ノ新任祝賀晩餐会ヲ日本橋倶楽部ニ開ク。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。
3款 特殊銀行 2. 株式会社日本勧業銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治44年3月1日
(1911年)
第50巻 p.291-292(DK500057k)
是日栄一、銀行集会所ニ於テ、池田謙三・松方巌池田成彬等ト会合シ、勧業銀行法及ビ農工銀行法改正ニ反対スルコトニ決ス。
大正6年11月5日
(1917年)
第50巻 p.292-295(DK500058k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開催セラレタル、当行創立二十周年記念祝賀会ニ臨ミ、演説ヲナス。
3款 特殊銀行 3. 株式会社台湾銀行
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明治43年10月26日
(1910年)
第50巻 p.295-300(DK500059k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開催セラレタル、台湾銀行創立十周年記念宴会ニ臨ミ、演説ヲナス。其後モ屡々同行ノ招宴ニ列ス。
3款 特殊銀行 4. 株式会社日本興業銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正7年5月24日
(1918年)
第50巻 p.300-301(DK500060k)
是日栄一、当行志立総裁・土方久徴・小野英二郎・岩佐埕蔵・二宮基成等ヲ飛鳥山邸ニ招キテ、小宴ヲ催ス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第50巻 p.301(DK500061k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当行ヨリ弔詞ヲ贈ル。
3款 特殊銀行 5. 株式会社韓国銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年8月16日
(1909年)
第50巻 p.302-319(DK500062k)
是日栄一、内閣ヨリ韓国銀行設立委員ヲ仰付ケラレ、十一月九日同委員ヲ免ゼラル。
3款 特殊銀行 6. 株式会社日仏銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正元年8月13日
(1912年)
第50巻 p.319-356(DK500063k)
是ヨリ先栄一、日仏銀行ノ設立ニ関与スル所アリシガ、是日当行ノ相談役トナル。爾後屡々相談会ニ出席ス。
大正6年7月
(1917年)
第50巻 p.357(DK500064k)
是月栄一、日仏銀行相談会員ヲ辞ス。
3款 特殊銀行 7. 株式会社日露銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年10月
(1917年)
第50巻 p.357-362(DK500065k)
是ヨリ先栄一、日露貿易振興ノタメ日露銀行設立ニ斡旋セルガ、是月栄一等ノ発起ニヨリ、株式会社日露銀行ヲ設立スルコトトナル。
4款 普通銀行 1. 株式会社二十銀行
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明治45年6月20日
(1912年)
第50巻 p.363-366(DK500066k)
是ヨリ先四十一年七月、栄一当行相談役ニ就任シ、四十二年六月辞任ス。是日当行第一銀行ト合併ス。栄一之ニ参与ス。
4款 普通銀行 2. 株式会社六十九銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正6年10月7日
(1917年)
第50巻 p.366-371(DK500067k)
是日栄一、長岡ニ於ケル当行新築落成式ニ参列シ、祝賀ノ演説ヲナス。
昭和6年11月15日
(1931年)
第50巻 p.371-372(DK500068k)
是月十一日栄一歿ス。是日葬儀ニ際シ、当行頭取長部松三郎弔詞ヲ贈ル。
4款 普通銀行 3. 株式会社帝国商業銀行
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大正12年1月
(1923年)
第50巻 p.372-374(DK500069k)
是月栄一、帝国商業銀行現重役ト、大株主タル神田鐳蔵トノ間ニ起レル紛争ノ調停ニ努ム。
4款 普通銀行 4. 株式会社加州銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正9年4月20日
(1920年)
第50巻 p.374-376(DK500070k)
是ヨリ先栄一、当行頭取横山隆俊ノ依頼ニヨリ、第一銀行行員西園寺亀次郎ヲ当行取締役ニ斡旋ス。是月十日当行臨時株主総会ニ於テ此事決定セシヲ以テ、是日当行ヨリ、栄一ニ礼状及ビ金屏一双ヲ贈ル。
4款 普通銀行 5. 株式会社第十銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
大正15年12月11日
(1926年)
第50巻 p.376-378(DK500071k)
是ヨリ先、明治八年五月、第一国立銀行ハ山梨第十国立銀行ノ前身タル甲府ノ興益社ト、コルレスポンデンス契約ヲ結ブ。次イデ明治十年三月、山梨第十国立銀行創立ニ関シ、栄一指導・援助スル所アリ。是日栄一、当行取締役山本彦吉ヨリ請ハレシ、同行五十年史ノ題字ヲ山本ニ交付ス。
4款 普通銀行 6. 株式会社八十四銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年5月4日
(1927年)
第50巻 p.378-379(DK500072k)
是ヨリ先栄一、当行ノ山田丈太郎ノ依頼ニヨリ、休業銀行ノ整理ニ付キ尽力スル所アリ。是日当行ヨリ、栄一ニ礼状ヲ送ル。
4款 普通銀行 7. 株式会社中井銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
昭和2年7月12日
(1927年)
第50巻 p.379-385(DK500073k)
是ヨリ先栄一、当行常務取締役田口忠蔵ヨリ、当行並ニ休業諸銀行ノ整理促進ニツキ懇請サル。是日栄一、日本銀行総裁井上準之助ヲ訪ヒ懇談ス。
4款 普通銀行 8. 其他 [1]高岡共立銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第50巻 p.385-391(DK500074k)
--
4款 普通銀行 8. 其他 [2]東京栄銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第50巻 p.391-392(DK500075k)
--
4款 普通銀行 8. 其他 [3]日米通商銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第50巻 p.392(DK500076k)
--
4款 普通銀行 8. 其他 [4]神田銀行
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第50巻 p.393-394(DK500077k)
--
4款 普通銀行 9. 銀行関係雑資料
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
--第50巻 p.394-403(DK500078k)
--
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治42年6月23日
(1909年)
第50巻 p.404-406(DK500079k)
是日、岡田文部次官、諸大学ノ総長・学長、諸高等専門学校長ヲ招待シテ、銀行倶楽部第七十五回晩餐会開カル。栄一出席シ、委員長トシテ挨拶ヲ述ブ。
明治42年7月5日
(1909年)
第50巻 p.406(DK500080k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・東京興信所及ビ銀行倶楽部ノ四団体連合シテ、東京銀行集会所ニ於テ、通信事業経営ノタメ渡米スル頭本元貞ノ送別会ヲ開ク。栄一出席シ、総代トシテ挨拶ヲ述ブ。
明治42年7月23日
(1909年)
第50巻 p.406-407(DK500081k)
是日栄一、東京銀行集会所組合銀行第五十八回定時総会ニ出席シ、会長トシテ会議ヲ司宰ス。
明治42年8月4日
(1909年)
第50巻 p.407-412(DK500082k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・東京興信所及ビ銀行倶楽部ノ四団体連合シテ、東京銀行集会所ニ於テ、アメリカ太平洋岸商業会議所ノ招待ニ応ジ、同国ヘ渡航スル栄一等、及ビ欧洲ヨリ帰国セル園田孝吉ノ、歓送迎会ヲ開ク。栄一、主催者総代豊川良平ノ送迎ノ辞ニ対シ、答辞ヲ述ブ。
明治42年12月20日
(1909年)
第50巻 p.412-419(DK500083k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・東京興信所及ビ銀行倶楽部ノ四団体連合シテ、東京銀行集会所ニ於テ、京浜渡米実業団員及ビニュー・ヨーク駐在総領事水野幸吉ノ帰国歓迎会ヲ開ク。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治43年1月28日
(1910年)
第50巻 p.419-422(DK500084k)
是日栄一、銀行倶楽部第十三回定時総会ニ出席シ、委員長トシテ議事ヲ司宰シ、次イデ開カレタル、第七十八回晩餐会ニ出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治43年1月
(1910年)
第50巻 p.422-425(DK500085k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『明治四十三年の経済界』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
明治43年2月22日
(1910年)
第50巻 p.425-430(DK500086k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於ケル、貴衆両院議員中ノ銀行家並ニ東京組合銀行有志ノ第四回連合懇親会ニ出席シテ、演説ヲナス。
明治43年6月16日
(1910年)
第50巻 p.430-431(DK500087k)
是日、韓国度支部次官荒井賢太郎・同農商工部次官木内重四郎・南満洲鉄道会社総裁中村是公等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第八十回晩餐会開カル。栄一出席シテ、来賓ニ謝辞ヲ述ブ。
明治43年7月21日
(1910年)
第50巻 p.431(DK500088k)
是日、近藤廉平・大橋新太郎・福井菊三郎等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第八十一回晩餐会開カル。栄一出席シテ、委員長早川千吉郎ニ代リテ開会ノ挨拶ヲ述ブ。
明治43年7月27日
(1910年)
第50巻 p.431-432(DK500089k)
是日栄一、東京銀行集会所組合銀行第六十回定時総会ニ出席シ、会長トシテ議事ヲ司宰シ、当集会所ヲ社団法人トナスタメノ定款作成ノ件、其他ヲ議ス。栄一、委員七名ヲ指名シ調査ヲ付託ス。
明治43年8月27日
(1910年)
第50巻 p.432-436(DK500090k)
是日、東京銀行集会所組合銀行臨時総会ニ於テ、当集会所ノ組織ヲ変更シテ社団法人トナスコトヲ決ス。栄一会長ニ選バル。
十二月十六日同法人ノ設立許可セラル。
明治43年12月28日
(1910年)
第50巻 p.436-438(DK500091k)
是日、東京銀行集会所組合銀行ハ、松方正義ノ金婚式ニ祝意ヲ表スルタメ、金盃一組ニ総代渋沢栄一ノ書状及ビ決議書ヲ添ヘテ贈ル。
明治44年1月27日
(1911年)
第50巻 p.438-440(DK500092k)
是日栄一、東京銀行集会所第六十一回通常総会、銀行倶楽部第十四回定時総会ニ出席シテ議事ヲ司宰シ、次イデ開カレタル、前銀行倶楽部副会長豊川良平ノ慰労会ニ臨ミテ、演説ヲナス。
明治44年1月
(1911年)
第50巻 p.440-446(DK500093k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ「明治四十四年の経済界」ト題スル論文ヲ寄稿ス。
明治44年2月9日
(1911年)
第50巻 p.446-451(DK500094k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於ケル、貴衆両院議員中ノ銀行家並ニ東京組合銀行有志ノ第五回連合懇親会ニ出席シテ、演説ヲナス。
明治44年3月3日
(1911年)
第50巻 p.451-454(DK500095k)
是日、大清銀行理事王秉釣・伊集院駐清公使・白仁関東都督府民政長官・柳生台湾銀行頭取等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第八十五回晩餐会開カル。栄一出席シテ、来賓ニ挨拶ヲ述ブ。
明治44年5月26日
(1911年)
第50巻 p.454(DK500096k)
是日、欧米ヨリ帰国セル日本銀行理事吉井友兄等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第八十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ、委員長代理トシテ挨拶ヲ述ブ。
明治44年6月21日
(1911年)
第50巻 p.454-462(DK500097k)
是日栄一、東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部合同主催ニヨリ帝国ホテルニ於テ開カレタル、日本銀行新総裁高橋是清・同前総裁松尾臣善・横浜正金銀行新頭取三島弥太郎・同前頭取高橋是清ノ送迎会ニ出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治44年7月17日
(1911年)
第50巻 p.462-463(DK500098k)
是日、日本銀行副総裁水町袈裟六・同営業局長小野英二郎・同海外代理店監督役土方久徴及ビフランス国人フールネルヲ招待シテ、銀行倶楽部第八十七回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治44年7月27日
(1911年)
第50巻 p.463(DK500099k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、当集会所通常総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。
明治44年11月8日
(1911年)
第50巻 p.463-475(DK500100k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部合同主催ニヨル、大蔵大臣山本達雄招待晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治45年1月25日
(1912年)
第50巻 p.475(DK500101k)
是日栄一、東京銀行集会所通常総会ニ出席シ、議長トシテ議事ヲ司宰シ、理事満期改選ニ依リ会長ニ重任ス。尚、右ニ先立チテ開カレタル、銀行倶楽部第十五回定時総会ニ於テ委員ニ選バレ、次イデ三十一日委員長ニ推サル。
明治45年1月
(1912年)
第50巻 p.475-484(DK500102k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『我邦に於ける銀行業の発達』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
明治45年2月16日
(1912年)
第50巻 p.484-488(DK500103k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於ケル、第六回議員銀行家連合懇親会ニ出席シテ、演説ヲナス。
明治45年2月27日
(1912年)
第50巻 p.488-490(DK500104k)
是日、元田拓殖局総裁・白仁関東都督府民政長官内田台湾総督府民政長官等ヲ招待シテ銀行倶楽部第九十回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
明治45年3月26日
(1912年)
第50巻 p.490-493(DK500105k)
是日、長谷場文部大臣・福原同次官・浜尾帝国大学総長等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第九十一回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治45年6月11日
(1912年)
第50巻 p.493-494(DK500106k)
是日、大使館参事官山座円次郎・海軍少将川島令次郎・在広東総領事瀬川浅之進・商船学校大成丸船長佐々木盛吉ヲ招待シテ、銀行倶楽部第九十三回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
明治45年6月26日
(1912年)
第50巻 p.494-502(DK500107k)
是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、桂公爵一行送別晩餐会ニ出席シテ、演説ヲナス。
明治45年7月25日
(1912年)
第50巻 p.502-503(DK500108k)
是日栄一、東京銀行集会所通常総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。尚、聖上陛下御不例ニ付、天機奉伺ノ議ヲ決シ、栄一、当集会所代表トシテ二十七日及ビ三十日宮内省ニ出頭シ、天機ヲ奉伺ス。
大正元年10月25日
(1912年)
第50巻 p.504(DK500109k)
是日、新渡戸稲造・桑港博覧会事務官山脇春樹・渡辺少佐ヲ招待シテ、銀行倶楽部第九十四回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正元年11月26日
(1912年)
第50巻 p.504-506(DK500110k)
是日、逓信省技師浅野応輔・横山英太郎・鳥潟右一等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第九十五回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正元年12月26日
(1912年)
第50巻 p.507(DK500111k)
是日、磯村豊太郎・和田豊治・藤山雷太ヲ招待シテ、銀行倶楽部第九十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正2年1月27日
(1913年)
第50巻 p.507-509(DK500112k)
是月十六日、銀行倶楽部焼失ス。是日栄一、東京銀行集会所通常総会並ニ銀行倶楽部第十六回定時総会ニ出席シ、議事ヲ司宰ス。栄一、会長・委員長ニソレゾレ重任ス。
大正2年1月
(1913年)
第50巻 p.509-512(DK500113k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『財政経済に関し新内閣に望む』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正2年2月7日
(1913年)
第50巻 p.513-514(DK500114k)
是日、華族会館ニ於テ、銀行倶楽部主催ハミルトン・ダブリュー・メービー博士講演会並ニ第九十七回晩餐会開カル。栄一出席シテ、同博士紹介ノ挨拶ヲナス。
大正2年5月27日
(1913年)
第50巻 p.514-518(DK500115k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開カレタル、銀行倶楽部臨時総会ニ出席、規則ノ一部改正ヲ議シ、名誉会員トシテ松方正義・井上馨・大隈重信・田尻稲次郎・阪谷芳郎・松尾臣善・高橋是清・山本達雄・豊川良平ノ推薦ヲ議ス。次イデ第九十九回晩餐会開カレ、栄一挨拶ヲナス。
六月二十八日、再ビ帝国ホテルニ於テ右松方正義以下ヲ招待シテ、会員晩餐会第百回ノ祝賀会開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。
大正2年9月25日
(1913年)
第50巻 p.518-521(DK500116k)
是日栄一、帝国ホテルニ於テ開カレタル、銀行倶楽部第百二回晩餐会ニ出席シテ、挨拶ヲナス。
大正2年10月15日
(1913年)
第50巻 p.521-522(DK500117k)
是月十一日桂太郎逝ク。是日栄一、東京銀行集会所・東京交換所及ビ銀行倶楽部ヲ代表シテ弔辞ヲ呈ス。
大正2年10月25日
(1913年)
第50巻 p.522-523(DK500118k)
是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百三回晩餐会開カレ、栄一出席シテ挨拶ヲナス。
十一月二十六日、同所ニ第百四回晩餐会開カレ、栄一同ジク出席シテ挨拶ヲナス。
大正3年1月19日
(1914年)
第50巻 p.523-525(DK500119k)
是日、東京銀行集会所通常総会開カレ、定例議事ノ外当集会所新築ノ件ヲ決定シ、更ニ大正五年ハ栄一ノ七十七寿ニ相当スルヲ以テ、ソノ祝賀・慰労ノ事ヲ申合ハス。栄一欠席ス。尚、是日栄一銀行倶楽部ノ委員ヲ辞ス。
大正3年1月
(1914年)
第50巻 p.525-528(DK500120k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『財政経済に対する予の希望』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正3年7月2日
(1914年)
第50巻 p.528-532(DK500121k)
是日、帝国ホテルニ於テ大隈首相・加藤外相・若槻蔵相・尾崎法相・一木文相・岡陸相・仙石鉄道院総裁ヲ招待シテ、銀行倶楽部第百八回晩餐会開カル。栄一出席シテ、支那旅行談ヲナス。
大正3年9月29日
(1914年)
第50巻 p.532-535(DK500122k)
是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百九回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正3年11月4日
(1914年)
第50巻 p.535-537(DK500123k)
是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百十回晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。
大正4年1月27日
(1915年)
第50巻 p.537-538(DK500124k)
是日栄一、東京銀行集会所通常総会及ビ銀行倶楽部定時総会ニ出席ス。
大正4年1月
(1915年)
第50巻 p.538-541(DK500125k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『本年の経済界に対する予の希望』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正4年7月21日
(1915年)
第50巻 p.541(DK500126k)
是日栄一、東京銀行集会所通常総会ニ出席ス。
大正4年9月5日
(1915年)
第50巻 p.541-542(DK500127k)
是月一日井上馨逝ク。是日栄一、東京銀行集会所会長トシテ、霊前ニ弔辞ヲ呈ス。
大正4年9月23日
(1915年)
第50巻 p.542-544(DK500128k)
是日、帝国ホテルニ於テ大蔵大臣武富時敏・菅原次官・加藤参政官ヲ招待シテ、銀行倶楽部第百十七回晩餐会ヲ開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正4年11月5日
(1915年)
第50巻 p.544-545(DK500129k)
是日、東京銀行集会所臨時総会開カル。栄一旅行中ニツキ早川千吉郎議長トシテ議事ヲ司宰シ、御大礼ニツキ賀表奉呈ノ件ヲ決シ、十日、会長栄一及ビ副会長早川千吉郎・同松方巌ノ名ヲ以テ、松方巌宮内省ニ出頭シテ奉呈ス。
大正5年1月26日
(1916年)
第50巻 p.545-546(DK500130k)
是日、東京銀行集会所通常総会開カレ、栄一出席シテ議事ヲ司宰ス。最後ニ副会長早川千吉郎議長トナリ、本年栄一喜寿ニ当ルヲ以テ、ソノ功労記念トシテ胸像建設ノ件ヲ諮リ、決定ス。
大正5年1月27日
(1916年)
第50巻 p.546-556(DK500131k)
是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部新年晩餐会開カル。栄一出席シテ、米国旅行ノ所感ヲ演説ス。
大正5年6月22日
(1916年)
第50巻 p.556-557(DK500132k)
是日、帝国ホテルニ於テ銀行倶楽部第百二十四回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正5年7月26日
(1916年)
第50巻 p.557-566(DK500133k)
是日栄一、東京銀行集会所会長ヲ辞ス。翌二十七日当集会所通常総会ニ出席シ、総会終了ニ際シテ告別ノ演説ヲナス。
大正5年9月25日
(1916年)
第50巻 p.566-570(DK500134k)
是月十九日、麹町区永楽町二丁目五番地ニ建築中ノ東京銀行集会所落成シ、移転ス。是日、同所内ニ建設セル栄一ノ寿像除幕式挙行セラル。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正5年11月15日
(1916年)
第50巻 p.570-576(DK500135k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・東京銀行倶楽部ノ三団体連合シ、栄一ヲ招キテ東京銀行集会所ニ於テ晩餐会ヲ開キ、栄一ガ多年銀行業ニ尽瘁セル労ヲ慰ム。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。
大正6年1月
(1917年)
第50巻 p.576-585(DK500136k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『本邦の経済界に対する予の希望』並ニ『東京銀行集会所の起原及沿革』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正6年11月1日
(1917年)
第50巻 p.585-588(DK500137k)
是日、東京銀行集会所ニ於テ金貨本位実施満二十年紀念会開催セラレ、次イデ東京銀行倶楽部ニ於テ晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正7年1月
(1918年)
第50巻 p.588-595(DK500138k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『経済と道徳との一致』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正7年6月26日
(1918年)
第50巻 p.595-597(DK500139k)
是日、東京市長田尻稲次郎ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百四十一回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正8年1月23日
(1919年)
第50巻 p.597-600(DK500140k)
是日、東京銀行倶楽部第百四十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正8年1月
(1919年)
第50巻 p.600-605(DK500141k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『大正八年の経済界』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正8年6月20日
(1919年)
第50巻 p.605-606(DK500142k)
是日、東京銀行倶楽部第百五十一回晩餐会開カル。栄一出席シテ、稲垣乙丙ノ食糧問題ニ関スル講演ニ対シ、賛成ノ演説ヲナス。
大正8年8月
(1919年)
第50巻 p.606-613(DK500143k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『平和克復後の経済界に対する希望』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正8年10月21日
(1919年)
第50巻 p.613-616(DK500144k)
是日、東京銀行倶楽部第百五十三回晩餐会開カル。
栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年1月26日
(1920年)
第50巻 p.616(DK500145k)
是日、東京銀行倶楽部第百五十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。
大正9年1月
(1920年)
第50巻 p.617-625(DK500146k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『世界の思想変動と日本の地位』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正9年5月1日
(1920年)
第50巻 p.625-626(DK500147k)
是日、東京銀行集会所・東京交換所・東京銀行倶楽部ノ三団体主催ニヨル、アメリカ合衆国人フランク・エー・ヴァンダーリップ一行招待会、東京銀行集会所ニ於テ開カル。栄一欠席ス。
大正10年1月
(1921年)
第50巻 p.626-642(DK500148k)
栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『新年の感想』ト題スル論文ヲ寄稿ス。
大正10年10月6日
(1921年)
第50巻 p.642-643(DK500149k)
是日、東京銀行倶楽部ニ於テ、今回渡米スベキ栄一及ビ英米訪問実業団銀行家送別晩餐会開カル。
栄一出席シテ演説ヲナス。