デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

5. 巧言令色と直言との利害

こうげんれいしょくとちょくげんとのりがい

(3)-5

 これも「学而」篇にある句だが、什麽しても心に偽のある者は直言することの能きぬやうになるもので、他人の悪い処を見ても、之を直言せずに言を巧にし色を善くして其人に接することになる。斯くの如き巧言令色の人と雖も、勿論仁のない私徳公徳を無視する者ばかりとは限らぬ。中には仁に富んだ心の人も無いでは無からう。故に孔夫子も絶対に無いとは仰せられずに「鮮矣」と曰はれて居る。然し、大体の上から見れば、「子路」篇にも「剛毅木訥近仁。」と説かれてある程で、巧言令色の人よりも剛毅朴訥、直情径行、他人の悪を視れば之を其儘に棄て置かず直言するものに、私徳公徳を重んずる人が多いやうに私は思ふのである。直言は素より結構の事に相違ないが、直言するに就ては能く時と場合とを稽へ、又直言するに就ての形式にも注意せねばならぬものである。何でも他人の悪を見つけ次第、直に之を包む所無く無茶苦茶に言つてしまひさへすればそれが仁の道に適ふものだと思はば甚しい心得違ひである。是に於てか孔夫子も、他の処では、発いて直とする之を暴といふ、と戒められてあるほどで、処かまはず他人の弱点を挙げ、之を衆人の目前に暴露したりするのは、仁に近い剛毅朴訥といふよりも寧ろ礼を知らぬ乱暴の極といふべきもので、これは血気に逸り易い青年子弟諸君の大に慎まねばならぬ点である。巧言令色と礼とを混同する事の悪るいやうに、徒に他人の非を摘発して直とするのも、亦悪い事である。

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デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)