デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

9. 七十歳にして漸く不惑

しちじゅっさいにしてようやくふわく

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 漸次「為政」篇に移つて申述べるが、井上哲次郎博士も論ぜられて居るやうに、孔夫子は、昨今の言で申す却〻の活動家で、寸時も息む処なく努力し修養に勉められたものゆゑ、殆ど十年毎に思想の状態が一変し、七十歳になられた頃には、如何に心のまゝに行つてもそれがチヤンと人間の履むべき道に合致し、決して規矩を超えるやうなことの無かつたものと思はれる。然し、私のやうに菲徳なものは、却〻さうは参らぬ。既に七十余歳に相成つた今日でも、若し心の欲するまゝに行ふやうにすれば、依然規矩を超えて乱れる事になる。幸に私が曲りなりにも兎に角規矩を超えた行ひに陥らずに済むのは、幸に克己の賜である。私が克己、即ち己れに克つ事に力めて私の心を制するやうにしなければ、決して今日の私であり得るもので無い。克己は実に偉大なる力である。
 然し七十余歳になつた今日、孔夫子が僅に四十歳にして達し給うた不惑の境涯にだけには、私も何うやら斯うやら達し得られたやうに思ふ。今より十五六年前までは、種々他人の御説を聞くと成る程それも左様だと能く惑つたものであるが、今日ではまづ斯る惑を起さずに済む。一例を申述べると、国民に信念を起さするには神道に限るとの説を私に御聴かせ下されて神道さへ信ずれば国民道徳は自然に昂まるものと御説きになる方もある。十四五年前ならば之を聴くと或は左様かと思はぬでもなかつたらうが早や七十余歳になつて処世の実地を久しく経験して参つた今日では、国家内外の事情も参酌せねばならぬものと思ふから直ぐ夫れに心を動かすといふやうな惑は起らぬのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)