デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

13. 勝海舟とは同腹に非ず

かつかいしゅうとはどうふくにあらず

(3)-13

 そんなら私の精神は勝海舟伯と全く同一であつたかと云へば、爾うでもない。私は、勝伯が余り慶喜公を押し込めるやうにせられて居つたのに対し快く思はなかつたもので、伯とは生前頻繁に往来しなかつた。勝伯が慶喜公を静岡に御住まはせ申して置いたのは、維新に際し将軍家が大政を返上し、前後の始末が旨く運ばれたのが一に勝伯の力に帰せられてある処を、慶喜公が東京御住ひになつて、大政奉還前後に於ける慶喜公御深慮のほどを御談りにでもなれば、伯の金箔が剥げてしまふのを恐れたからだ、などといふものもあるが、まさか勝ともあらう御人が爾んな卑しい考へを持たれよう筈がない。たゞ慶喜公の晩年に傷を御つけさせ申したくないとの一念から、静岡に閑居を願つて置いたものだらうと私は思ふが、それにしても余り押し込め主義だつたので、私は勝伯に対し快く思つて居なかつたのである。慶喜公の東京御住ひになられたのは伯の死なれてから後の事である。

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キーワード
勝海舟, 同腹, 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)