デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

11. 天命を知らぬも一貫の精神

てんめいをしらぬもいっかんのせいしん

(3)-11

 孔夫子は五十歳にして天命を知り、天の命ずる所を覚つて行はれるやうになつたと曰はれてるが、私は幾歳になつた時から天の命ずる所を知り得たなぞと高言は致し得ぬものである。然し、慶喜公や当時静岡藩を預つて居つた大久保一翁などに、明治政府の召に反いては却て徳川家を不利な破目に陥らしめることになるからと説かれた結果、一時、明治政府に仕官したこともあるが、兎に角私は一度慶喜公に仕へて身を立てた身分のもの故、慶喜公が既に大政を奉還せられて世捨人になられた上は、私も亦主従の義を守り、官途に就て政治向のことに関係致すまいと決心した精神だけは、仏蘭西から帰朝の明治元年以来今日に至るまで一貫して毫も変らぬのである。私の精神は、旧主家たる徳川家に対する情義を全うしたいといふのにある。

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キーワード
天命, , , 知らず, 一貫, 精神
デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)