デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

12. 民部公子の為に二万円

みんぶこうしのためににまんえん

(3)-12

 前回にも申述べ置ける如く、私が仏蘭西に留学するやうになつたのは水戸の民部公子に随伴しての事であつたが、当時私の外にも同行した留学生があつて、民部公子及び一行留学生の費用としては毎月五千弗ばかり支給せられて居つたものである。私は当時理財のことに通じて居るからといふので会計の衝に当らしめられ、民部公子御手廻りの家具調度等も多く買ひ調へたが、明治元年一行帰朝の際には、買ひ求めた器具一切と予納借家料の回収等を、当時巴里にあつた帝国名誉領事の仏人フロリ・ヘラルドに一時委托して参つたのである。諸道具の売払代金と借家料の回収金とを合すれば彼是二万円ばかりになり回送せられて来たところ、維新の為に政府が変つてしまつてるのでその二万円が新政府のものであるか、或は又民部公子に下げらるべきものであるかに就て随分喧ましい議論が起つてゴタ〳〵したものである。
 その時に私は態〻静岡から東京に出て新政府当局に交渉し、仏蘭西に残して来た諸道具や借家料回収金などは、仮令明治政府になつてから現金にせられたにしろ、道具を買つたり借家料を予納した時の費額は、曩に留学中民部公子に支給せられた金額のうちより私なぞが御倹約を致させ申して支出したのであるから、何れも民部公子の私有財産である。依て仏蘭西より今回回送された現金は当然民部公子に御下げになつて然るべきものであると主張し、その二万円ばかりを受取つて帰るやうにしたこともある。これなぞも、一に旧主家徳川家に尽したいとの精神から出たものである。

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キーワード
徳川昭武, 民部公子, 二万円
デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)