デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

4. 商工業に於ける仁の道

しょうこうぎょうにおけるじんのみち

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 孔夫子の時代は今日の如く商工業の盛んな時代で無かつたものだから、論語のうちにも、孔夫子は商工業を営むに当つての実地の方法、即ち如何にして商品は作り又売るべきものか、商業道徳とは如何なるものであるか等の細節に亘つて毫も説かれて居らぬ。然し、仁は既に道徳の大本で、人と人との相交り相接するにも、又国家を治めて天下を平かにするにも皆仁が本になるものであるとせば、実業に於ても仁が本にならねばならぬ筈である。政治にも仁が必要、各個人日常の交際にも亦仁が必要であるものなら、独り実業にのみ之が必要で無いといふ筈があるべきで無い。
 真正に仁を行はうとすれば国の政治も改善し、風俗も改良して行かねばならぬ事になるのだが、それは誰でも力を尽しさへすれば直ぐに成るといふわけのもので無い。それぞれの順序がある。然し国民が皆私徳と共に又公徳を重んじ、実業にも其意を以て当るやうにすれば、仁が自然と行はれて国家の品位を高め得る事になる。私は会社を経営するに当つても、単に其衝に当る当事者が利するのみでは可けない、勿論、当該会社の利益を謀らねばならぬが、同時に、之によつて国家の利益、即ち公益をも謀らねばならぬものと信じ、今日まで其方針で万事に処して来た積である。一に、孔夫子が論語に説かれた広義の仁を実地に行はんとするの意に外ならぬ。仁には又義の伴はねばならぬものである事は、既に前回に於て申述べ置いた通りである。

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デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)