デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

10. 二十四歳にして立ちしに非ず

にじゅうよんさいにしてたちしにあらず

(3)-10

 私の今日までに於ける経験を談話すれば、十有五にして学に志したと丈けは申上げて憚るところは無いが、三十にして立つたとは申されぬ。二十四歳の時郷里を出でて京都に赴いたのは、私が兎に角今日までに相成つた素地を作つたもので、その時に郷里を出なければ、或は今日あるを得なかつたかも知れぬ故、お前は三十にもならぬ二十四にして孔夫子よりも早く立つたのだと仰せらるゝ方もあるか知らぬが、あの時の私の心情を回顧て顧ると、什麽しても立つたのだとは云ひ得ない。何れかと云へば間違つた行ひに出でたもので、今日の御時勢に相成つて当時の事を想ひ回らすと、天朝に対し奉り畏れ多く思ふほどである。
 当時の考へは唯無暗に過激ばかりで、自分の過激な意見が貫らなければ死んでしまふといふに過ぎなかつたものである。然し、死ぬと云つても、華厳の滝に投じた藤村操のやうに、自分一人が死んでしまふといふのでは無く、必ず道伴れを拵へ、自分の過激な意見を行ふのに邪魔立てをした者を殺して一緒に死なうといふのであつたから、立つどころか、什麽しても間違つた行ひに出でたものと云はねばならぬ。

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二十四歳, 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)