14. 勝伯の小僧扱ひ
かつはくのこぞうあつかい
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当時、徳川家が朝敵名義で懲罰にならずに済み、静岡一藩を賜はるやうになつたのも畢竟勝伯の力である。又勝伯を殺さうとするものが幕臣中に数多くあるに拘らず、何れも伯の気力に圧せられて近づくことが能きぬなぞと、伯の評判は実に嘖々として喧しいもので、私も亦当時は些か自ら気力のあることを恃みにして居つた頃であるから、気力を以て鳴る伯とは好んで会つたものである。然し、当時の私と伯とは全然段違ひで、私は勝伯から小僧のやうに眼下に見られ、民部公子の仏蘭西引揚には、栗本のやうな解らぬ人間が居つたんで嘸ぞ困つたらう、然し、お前の力で幸ひ体面を傷けず、又何の不都合もなく首尾よく引揚げられて結構なことであつた、などと賞められなんかしたものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)