3. 仁とは何ぞや
じんとはなんぞや
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孔夫子は管仲の人物に感服して居られず、論語「八佾」篇に於て、「管仲之器小哉。」と稍〻罵らるゝ如き意味を漏らされたほどで、孟子の如きは、弟子に当る公孫丑の問に応じ、「子誠斉人也。知管仲晏子而已矣。」と答へられ、汝は斉の生れで同国故両人を豪いと思ふかも知らんが、管仲や晏子は大して豪い人物で無かつたぞと諭されて居る[。]然し、管仲の社会上尽した功は孔夫子も之を没せられず、「憲問」篇に於て、「微管仲。吾其被髪左袵矣。」と、管仲が風俗改良に致した功を頌へ、「如其仁。如其仁。」と、天下を統一し風教を興した管仲の働きを仁であると賞せられて居る。之によつて見ると、治国平天下の道も亦仁の中であることが愈〻明かになる。
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- 仁, 何ぞ
- 論語章句
- 【八佾第三】 子曰、管仲之器、小哉。或曰、管仲倹乎。曰、管氏有三帰。官事不摂。焉得倹。然則管仲知礼乎。曰、邦君樹塞門。管氏亦樹塞門。邦君為両君之好、有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知礼、孰不知礼。
【雍也第六】 子貢曰、如有博施於民、而能済衆、何如。可謂仁乎。子曰、何事於仁。必也聖乎。堯・舜其猶病諸。夫仁者、己欲立而立人、己欲達而達人。能近取譬、可謂仁之方也已。
【憲問第十四】 子路曰、桓公殺公子糾。召忽死之。管仲不死。曰、未仁乎。子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也。如其仁。如其仁。
【憲問第十四】 子貢曰、管仲非仁者与。桓公殺公子糾、不能死。又相之。子曰、管仲相桓公、覇諸侯、一匡天下。民到于今受其賜。微管仲、吾其被髪左衽矣。豈若匹夫匹婦之為諒也、自経於溝瀆、而莫之知也。
- デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)