デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一

8. 家庭円満の本は無邪気

かていえんまんのもとはむじゃき

(3)-8

 これは「為政」篇にある章だが、五経の中の詩経は、其昔天子が諸国の風俗民情を知つて施政の参考に供せられんとし寄せ蒐められた民謡や其他の詩篇より成つたものである。孔夫子の時代には、それが三千余篇ばかりあつたところを、孔夫子が刪修して三百十一篇に約められ、更に秦の始皇帝が書を楚かれた[焚かれた]時に、又そのうちから六篇だけ散逸してしまひ、現に三百五篇のみが残つて今の詩経を作して居るのである。
 詩経開巻の第一には「関々たる雎鳩は河の洲に在り、窈窕たる淑女は君子の好逑」とあるが、これは周の文王が大姒と仰せらるゝ妃を納れられた時に宮人の謡つた詩で、君子が容色の美しい心情の貞淑な起居の床しい淑女を配偶にせらるれば家庭円満和気靄々であるとの意に外ならぬ。而も之が詩経全篇の骨子で、一家和合の秘訣は家族のものに邪念の無い事である。家族のものに邪念が無ければ自然と家が斉ひ家が斉へば国も治まり、天下も平かになつて、広義に於ける仁が行はれることになる。故に、人は殊に家にある時に、小児らしく無邪気になつてゐることが必要である。

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デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)