15. 函館投軍を勧めらる
はこだてとうぐんをすすめらる
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私が函館に旗揚をした榎本武揚の軍に投ずるのを勧められた時に之に応じなかつたのも、一に慶喜公の御意のあるところに従つたに外ならぬもので、慶喜公に対して義を守ることだけは、終始一貫して参つたと申しても決して過言でなく、明治六年幸にして官を辞するを得てから以後は断じて政治に思を絶つたのである。是が若し天命を知るといふものならば、私も或は明治元年六月以来天命を知つた者と云へば云へるかも知れぬ。明治元年は私が二十七歳の時である。
- デジタル版「実験論語処世談」(3) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第6(渋沢青淵記念財団竜門社, 1968.11)p.657-663
底本の記事タイトル:一九三 竜門雑誌 第三二七号 大正四年八月 : 実験論語処世談(三) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)
初出誌:『実業之世界』第12巻第13号(実業之世界社, 1915.07.01)