2. 秀吉の一生は勉強のみ
ひでよしのいっしょうはべんきょうのみ
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秀吉が木下藤吉郎と称して信長に仕へ草履取りをして居つた頃、冬になれば藤吉郎の持つてた草履は常に之を懐中に入れて暖めて置いたので、何時でも温かつたといふが、こんな細かな事にまで亘る注意は余程の勉強でないと到底行届かぬものである。又、信長が朝早く外出でもしようとする時に、まだ供揃ひの衆が揃ふ時刻で無くつても、藤吉郎ばかりは何時でも信長の声に応じて御供をするのが例であつたと伝へられて居るが、これなぞも、秀吉の非凡なる勉強家たりしを談るものである。
- デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)