デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一

5. 秀吉礼を知らぬ

ひでよしれいをしらぬ

(10)-5

 秀吉の晩年が甚だ振はなかつたのにはいろいろの原因もあらうが、斯く才智のある人物をのみ偏重して部下の人物配置の法その当を得ず機略にのみ秀でて、経略即ち経綸の才に乏しかつたことは確に其一つだらう。然しその最大原因は、礼の大本を弁へず漫りに淀君の愛に溺れて、其間に生れた秀頼を寵し、一旦猶子にまでして関白の位を継がしめた秀次を疎んじ卻け、遂に之に反意を懐かしむるに至り、反意ありと知るや之を高野山に放つて切腹を命じ、その首を三条河原に梟して遺骸を葬りし墳墓に畜生塚の名を附し、一族の子女妻妾侍臣に至るまで悉く之を誅するなど、家道の甚だ斉まらなかつた所にあらうかと思ふ。
 太田錦城などの意見も此の点に於て私の思ふ所と同じで、秀吉が信長の遺子北畠内大臣信雄及び神戸三七信孝に対する処置は、戦国の事情止むを得ざるものとして責むべきではないが、秀次に対する処置は甚だ其当を得ざるもので、恕すべからずと論じて居る。畢竟皆礼の大本を忘れたるの致すところ也と云はねばならぬ。

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太閤秀吉, , 知らず
デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)