デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一

11. 我家の菩提寺[菩提所]は寛永寺

わがいえのぼだいしょはかんえいじ

(10)-11

祭如在。【八佾第三】
(祭るには在すが如くにす。)
 これも、孔夫子が形式よりも大切なものは精神であるといふ意味を教へられた語で、祖先を祀るにしても、眼前に其人あるが如き精神を以てせざれば、如何に祭式を調へてもそれは裳脱の殻同然のものだといふ教である。
 私は、及ばずながら此の精神を以て我が祖先に対し、我が亡き父母に対することを心懸けて居る。従つて墓地を立派に飾るとか何とかいふことを致さず、ただ世間並にして置くばかりである。元来私の家は代々古義真言を宗旨とする寺の檀家であつたのだが、私の東京に居住するやうになつて以来、私が徳川家と関係のある都合上より、只今では私も上野寛永寺の檀家に移り、寛永寺を私の家の菩提所に定め、同寺の境内には既に先妻の墳墓もある。私も死ねば、矢張、其処に参ることになつて墓地が取つてある。さればこそ別にその墓地を立派にして置くといふわけでも無い。ただ私が渋沢家代々の為に微かな招魂碑を建て、位牌堂を寛永寺の境内に設けた丈けである。要するに祖先より亡父母に至るまでの霊を、在すが如くにして祀らんとする微意に外ならぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)