デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一

12. 私の母と父とは如何

わたしのははとちちとはいかん

(10)-12

 私の母は、他の女と変つた所のあつた豪い女だと、今になつても素より想ひはせぬが、非常に人情の深い慈愛に富んだ女であつたこと丈けは確実で、今日になつても、之を想ふと涙の垂れるほど有難く感ぜられる。母は家付の娘で、父は同村の渋沢宗助といふ家から私の家へ聟養子に参つたのであるが、父のことは今になつて想へば思ふほど豪い非凡の人であつたと、益〻敬服するばかりである。父の事に就てはこれまでも既に申述べ置いたので、大略、読者諸君も承知せられて居ることと思ふが、極めて方正厳直、一歩も他人に仮すことの嫌ひな持前の人で、如何に些細なことでも四角四面に万事を処置する風があつたのみならず、非常な勤勉家で相応な家産をも作り出したほどの人ゆゑ、働く方の慾は極めて深かつたが、物惜しみなどは毫も致さず、至つて物慾には淡泊の方で、義の為だとなれば折角丹精して作りあげた身代でも何でも、之を擲つて些か悔ゆる処無し、といつたやうな気概に富んだ人である。又、他人に対しても頗る厳格でありはしたが、深刻だといふ質でなく、小言を云ひながら能く他人の世話をしたものである。若し不肖の私に多少なりとも斯る美質がありとすれば、それは皆父の感化による賜であると謂はねばならぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)