デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一

15. 父は終生郷里にて暮す

ちちはしゅうせいきょうりにてすくらす

(10)-15

 仏蘭西から帰朝して、明治元年十一月三日横浜に入港するや否や、其趣を直に父に報知してやると、仏蘭西にあるうち予て私より或は金子の必要を迫られ、送金して貰はねばならぬやうになるかも知れぬと父に通知して置いてあつたので、若干かの金子を懐にして早速東京まで出て来られたのであるが、既う金子の必要も無く当坐用は充分手許にあるから御心配に及ばぬと申述べ、色々と洋行の話などをして別れたのである。私は夫れより一旦静岡に参り、明治二年明治政府に出仕するやうになつて東京に家を持ち、妻子とも同棲することに相成つたので、父にも是非東京に参られて同じ家の内に住むやうにと話しても見たが、父は「貴公と私とは全然帰着点が違ふ。貴公は官にも出仕して居ればいろいろと交際も広かるべく、私のやうな田舎者が貴公の家に同居して居つては、水の中に油を入れたやうなもので貴公の迷惑にもなる。私は郷里に居る方が却て気楽で可いから」とて、甚麽しても東京居住を承諾せられなかつたものである。就ては私も父の意に任せ郷里に住まつて戴くやうにしたが、三ケ月に一度くらゐは出京せられて、その頃深川にあつた住宅に私を訪れられ、三四晩も泊つては又郷里に帰られたものである。

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, 渋沢市郎右衛門, 郷里
デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)