3. 中国より二週間にて山崎
ちゅうごくよりにしゅうかんにてやまざき
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翌天正十一年が直ぐ賤ケ岳の戦争になつて、柴田勝家を滅ぼし、遂に天下を一統して天正の十三年に秀吉も目出度関白の位を拝するやうになつたのであるが、秀吉が斯く天下を一統するまでに要した時間は本能寺の変あつて以来僅に満三年である。秀吉には素より天稟の勝れた、他に異る所もあつたに相違無いが、秀吉の勉強が全く之を然らしめたものである。又、秀吉が信長に仕へてから間もなく、清洲の城を僅に二日間に修築して信長を驚かしたといふ事も伝へられて居るが、之とても一概に稗史小説の無稽譚とのみ観るべきでない。秀吉ほどの勉強を以てすればこれぐらゐの事は必ずできた事と思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)