7. 氏郷の妻に秀吉の母
うじさとのつまにひでよしのはは
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天正十二年秀吉小牧山の陣を収め、長湫の戦を終へ、漸く大勢の己れに利あるを見るや天下一統の志を起てたが、目の上の瘤たる家康の事が気に懸つて堪らぬので、早く家康と和協の実を挙げたいものと思ひ、参河にある家康に切りに上洛を促したが、家康もさるもの、容易に之に応ずる色が無い。是に於てか秀吉も遂に力尽きて施すの策なく自分の生みの母を人質にして家康の許に送り、漸く家康をして上洛せしめ、之と和睦するを得たといふ事は、正史の伝ふる処である。
- デジタル版「実験論語処世談」(10) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.15-22
底本の記事タイトル:二〇六 竜門雑誌 第三三四号 大正五年三月 : 実験論語処世談(一〇) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第334号(竜門社, 1916.03)
初出誌:『実業之世界』第12巻第20,21,23号(実業之世界社, 1915.10.15,11.01,11.15)